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生誕100年 ジャクソン・ポロック展

 

東京国立近代美術館 所蔵作品展「近代日本の美術」

 

感想文

 

 

花びらの足りない白い椿かな。

一句詠めた。

あとはにじむ、繰り返す。

 

最初からこれは何かあると感じたもの2点。

《西へ》1934-35年)油彩/ファイバーボード

白っぽくて丸い画面。中心に吸い込まれるような。

タッチはどこかで見たような、と思ったら去年見たアルバート・ピンカム・ライダーの影響を受けていた頃の作品らしい。(参考:モダン・アート,アメリカン展の感想文

こうやって繋がるのは楽しいなあ。

それはともかく、ライダーの作品よりこの《西へ》のほうが来るものがあった。

 

《無題》1939-42年頃)ペン、黒インク、色クレヨン/紙(本展の出品リストの番号は19

左側の丸くてくしゃっとしてるものが気になった。

 

この気になる丸いのがいるなーと思った作品。

P.131944年頃)後刷り、銅板/紙

P.191944-45年頃)後刷り、銅板(鉄メッキ)/紙

パンフレットの上の《P.19》のポストカード。

見えづらいですが、下のほう中央にあいつ。

 

《無題 多角形のある頭部》1938-41年頃)

一見もろピカソで、目を逸らしてしまうというか最初は素通りしてました。

でも、見ようによっては画面全体があの丸いやつ。白いし。

実はポロック要素が満載の作品。かもしれない。

 

床。

床とは、ピカソの画集を投げつけるところではなくて、絵の具を垂らすところ。

と思ったのかどうか。

 

《インディアンレッドの地の壁画》1950年)油彩、エナメル塗料、アルミニウム塗料/キャンバス、板にマウント

この絵はもともと壁画として注文されたものらしいから、壁に展示するのは当然なんだけど。

ポーリングの作品、どれか1点でも、床に展示できないものかしら。

 

壁のポロックの言葉。床に書くのは珍しくない、東洋ではやられている、というのは自嘲なのか。

それともポイントはそこじゃないという意味か。

 

《ナンバー7, 19501950年)油彩、エナメル塗料、アルミニウム塗料/キャンバス

ポロックは白。

とすれば、白でない地塗りは正解か。

ポーリングの作品の中ではこれが一番と思いました。

 

《ナンバー7, 19521952年)エナメル塗料、油彩/キャンバス

パンフレットの《インディアンレッドの地の壁画》の上の《ナンバー7, 1952》のポストカード。

あらわれる重心。浮かび上がる顔。にじむのはエナメル塗料か。

平山郁夫の水彩の仏頭にも似ている。

この絵の前にはたいてい人だかりができてました。

 

黒と赤茶色の作品がいくつかありました。

繊細な岡本太郎という印象。

太郎は地面から生えてる感があるけど、ポロックは空中に浮いてる感じ。

 

お外でポーリングするポロックの映像などあり。

あんまり楽しそうには見えなかったなあ。

使命感なのか。アメリカン優等生。

 

オールオーヴァーにしていくポーリングはバランス感覚かな。

良きところでやめる勇気。

 

会場の年表に「ポーリングを習う」という記述があって、元祖ってわけじゃないことに気づく。

ポーリングのポロックと思い込んでいたけど、オールオーヴァーのポロックだったのか。

 

中心と端を意識しないで描くって大変だ。

特にポーリングでオールオーヴァーにするには画面の適正サイズと適正形状あるなあ。

ベストが出せそうなのは横長か。となるとやっぱり《ナンバー7, 1950》。

 

《無題 赤いアーチと馬のある構成》(1938年頃)

繰り返しのリズム。反復。

呪文。

唱え続けてオールオーヴァーにつながったのか。

 

《無題》1933年)ブロンズ

彫刻こそが自分の表現媒体だ、と言っていた時期があったらしい。

立体、重心、集中、球体、というヒントか。

それだとオールオーヴァーとはだいぶ違う、というかほとんど真逆では。

でもここに戻って方向転換すれば希望が見えたか。

いや《ナンバー7, 1952》で方向転換しようとしていたのかも。

180度はきつかったか。

 

西から東のニューヨークへ行った後、それこそ西へ戻ってきていたら集大成ができたかも。

 

1953年以降の作品がなくて残念。

年表によると、ほとんど作品を作らなくなる前に、たくさん作った時期があったらしいのだけど。

 

 

会場を出たところで、アトリエの床が再現されています。ここは撮影OK

 

板やスポイトも使っていたらしい。

 

絵の具箱。お菓子の箱みたい。

 

床の絵の具は、なんといったらいいか、印刷されているようです。

とにかく靴が汚れるわけではありませんよ。

 

壁は特に再現しなかったらしい。

 

 

ショップは特設のほうしか見ませんでした。

ポストカード。

《西へ》、あったのですが。

仕方ないことなのでしょうが、色もタッチも画面の端の切り方もあんまりなので見送りました。

どんな出来のいいコピーも所詮はオリジナルの感動の覚え書きなんだけど。

いっそない方がいいこともあるんだけど。

わかってるんだけども。

 

 

さて

所蔵作品展という名のポロック展最終章。

 

おもしろいものいっぱい、うろうろきょろきょろ。

向こうの壁の絵、好みではないけどチャーミングだなあ。

これはよく見てみよう。

と近づいてみたら

 

ピカソ。

《ラ・ガループの海水浴場》1955

 

ああ

こういう…

 

表現媒体とか技法とか作者の人生とか、時代とか国とか、新しいとか古いとか、

ぜんぶ取っ払って、

それでも残る何か。

作品に、それがあるかないかがすべて。

 

100年経ったら、1000年経ったら、ピカソ、ポロック、どうなってるんだろう。

 

 

こちらの展示だけ見てもたっぷり楽しめるということはもちろん知っていましたが。

口尖らしてるブロンズ像なんで。とか。やっぱりブラック好きだなあ。とか。

 

企画展よりも所蔵作品展などの常設的な展示のほうが、構えていないぶん、

先入観でべったべたのメガネを、外せないまでも洗えるのかも。

 

 

しかもこれでもまだ終わらない東京国立近代美術館。どんなお化け屋敷より怖い。

原弘と東京国立近代美術館の埴輪目撃談(或いはポロック展最終章のさらなるおまけ)へどうぞ。

 

 

 

混雑状況報告。

 

土曜日、ポロック展を見ていたのは1113くらいかな。

どちらかというと混んでいましたが、チケット売り場や入場などでは並ばずに済む程度。

4往復半ぐらい。逆流も特に問題なし。

 

《インディアンレッドの地の壁画》、独占はできませんでした。

絵の前3人を切るということはなかった。

もっとも一部屋にこの1点のみでの展示なので、それほど見づらくはないです。

 

映像は確か9分のものと5分のもの。

上映場所はけっこう人がいました。ぎゅうぎゅうというほどではない。

 

所蔵作品展のどこだったかでもポロック紹介映像が上映されていました。

ちょっと狭そうちょっと長そうで見てないのですが15分くらいか。

 

ぜんぶ見終わって出た14時くらいにはチケット売り場にちょっと列ができていました。

5人はいたかな。

 

 2012/03/03訪問 

  

 

そうだ

誰が作ったかこの埴輪

誰も知らない

知らないけれど

みんな知ってる気づいてる

みんなすっかりやられてる

 

 

このページの画像はすべて、埴子が撮影したものです。

  2012/03/04up

  2012/03/06更新

 

 

会場|東京国立近代美術館

会期|2012210日(金)〜201256日(日)

休館日|毎週月曜日(2012319日、326日、42日、430日は開館)

開館時間|午前10時〜午後5時 (金曜日は午後8時まで)

入館料|一般=1,500

 

  

 

 

このまえの感想文 20123

 高橋キョウシロウ 3冊の絵本のための原画展

 

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 ユベール・ロベール −時間の庭

 

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