あなたに見せたい絵があります。
ブリヂストン美術館開館60周年記念
の 感想文 (2012の8)
第1章 自画像
《自画像》中村彝(1909年) 大きな画布の中、顔にのみ、ヒビが入っていた。 ヒビが入るくらい厚塗りになってしまうほど、筆を加えたということでしょう。顔にのみ。
《画家とモデル》パブロ・ピカソ(1963年) 右上がちょっと気になった。頭部の石膏像か。 だとするとこの絵には顔3つ。
塗り残すという技があるようですが、この技は使いこなせる人がそういないようである。 マネはその内の希少な一人。 セザンヌは〜 どうだろう。セザンヌ自身の、独自の理論に則っていただきたい。
顔のみというのは少なく、半身像多数。全身を描いたものもいくつか。 でも自画像は顔。
第2章 肖像画
《レオポール・ルヴェールの肖像》エドガー・ドガ(1874年) ドガっぽくない。と思ったけど、そう言えるほど、ドガを知らない。
《麗子像》岸田劉生(1922年) ザ・麗子。と思ったけど、そう言えるほど、劉生も麗子も知らない。 武者小路実篤が劉生について書いているのを読んだ程度だ。 ところで、絵の背景と額、みごとに一体化。
絵と額との調和。 気づいてから意識して見てみると、そういう絵と額が本展は特に多かった、ように感じました。 額にも歴史がある。 新しい額に入れかえたら絵が死んじゃうんだろうなあ。
肖像画も顔。当たり前と言えば当たり前。
本展には出ていませんが、マグリットの描く人物画は顔が隠されていることしばしば。 隠されることによって、どこが一番重要か、思い知らされる。
第3章 ヌード
ヌードは体でしょうか。果たして。 体だけ描くわけにもいかないもんなあ。例え後ろ姿でも。 やっぱり人は顔なのでは。 だからというわけではないですが、この章はこれというものなし。
第4章 モデル
《黒扇》藤島武二(1908-09年) 藤島武二が死ぬ直前まで手放さなかったらしい。 人に見せることで何かが変わる。いいほうにか悪いほうにか、それはわからない。 ともかく、最後には石橋正二郎に託したらしい。
《チョチャラ》藤島武二(1908-09年) 名前だけは聞いたことがあるという程度でした。 今回はしっかり覚えて帰ろうと思いました。 藤島武二。
モデルの、そもそもの顔もいいのでしょうね。 絵になるというか、描きがいがあるというか、そういう意味でのよさ。
第5章 レジャー
なんとなくよかったもの。 《トルーヴィル近郊の浜》ウジェーヌ・ブーダン(1865年頃) 《サーカスの舞台裏》アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1887年頃) 色彩がないけどロートレック。
第6章 物語
美術、特に絵画と物語は近いところにあるみたい。 見る人がその物語を知っているかどうかで、絵の印象は違ってくる。 物語を知る前と後でも大きく違ってくる。
《聖書あるいは物語に取材した夜の情景》レンブラント・ファン・レイン(1826-28年) 絵の左側が切断されているとのこと。物語の全容見えず。 そして絵の運命という新たな別の物語。
《山中のドン・キホーテ》オノレ・ドーミエ(1850年頃)
《郊外のキリスト》ジョルジュ・ルオー(1920-24年) ルオーは顔の絵(《ピエロ》(1925年))よりもこっちがよかった。 顔では強すぎることもあるのか。うーむ。
《天平時代》青木繁(1904年) オレンジと緑。そして白い鳥。 この絵も《海の幸》(1904年)も横長の絵のせいか、上下いっぱいまで描かれている。 結果、上のほうが額の影になってしまうのが惜しい。
額って難しい。
第7章 山
《乾草》ポール・ゴーガン(1889年) ゴーギャンはあまり好きじゃない。でもこの絵は何となくよかった。 描き込み過ぎてないからかな。
第8章 川
《菜園》カミーユ・ピサロ(1878年) 構図。色。かな。
《アルジャントゥイユの洪水》クロード・モネ(1872-73年) 《睡蓮》クロード・モネ(1903年) 《睡蓮の池》クロード・モネ(1907年)
睡蓮2作は川じゃなくて池ですが。池だけでは章が作れなかったか。 時刻、1903年のほうは、太陽が沈んで、光だけがかろうじて残っているような時間かな。 1907年のほうは、夕焼けか。
モネの睡蓮それぞれの時刻がわかるかも、と、図書室で図録をめくる。 はっきりとは記載なし。そこまでは無理か。
《グレーの洗濯場》浅井忠(1901年) 小さめの絵ですが、少し近寄って見ると、水が美しくて涼しくなります。潤います。ふー。 夏、人の多い展示室の中で、この魅力は際立つ。
《ヴェルノン付近の風景》ピエール・ボナール(1929年) いいと思った、という印象しか残っていない。 とにかく何となくよかったです。
《テラスの広告》佐伯祐三(1927年) 椅子やテーブルのライン。パリ。
第9章 海
《雨のベリール》クロード・モネ(1886年)
《浪(大洗)》藤島武二(1931年) 今回の一番。 浪の藤色。タッチ。 石橋正二郎が藤島武二の作品を集めるきっかけとなった作品だそうだ。なるほど。
第10章 静物
《鉢と牛乳入れ》ポール・セザンヌ(1873-77年頃) 鉢はオレンジ色と緑色。
《桃》ピエール・ボナール(1920年)
《ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙》パブロ・ピカソ(1913年)
《薔薇》安井曾太郎(1932年) 曾太郎は黒。黒バックの薔薇。
第11章 現代美術
《T.1963-K7》アンス・アルトゥング(1963年) 計算と偶然のバランス。なんとなくいい、のもとになるのはこの辺か。
《風の便り》野見山暁治(1997年) おお、半年ぶりの再会。やっぱり水の印象。この人の作品は夏に見たい。 前回は冬でした。(参考 野見山暁治 展)
《07.06.85》ザオ・ウーキー(1985年) この絵も夏むき。
ところで、『現代美術』という名称はどうなのか。 『近代』もなんだかな。 もう少しうまいネーミングができないものか。
コレクション展示 古代美術
紀元前のもの多し。 出る杭は打たれる。高い鼻は欠ける。
《セクメト神像》エジプト(紀元前14世紀) 顔。顔だけが、人じゃない。 すごい発想だ。 神がいかに人と違うか、ということか。
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図録。 図書室でちらっと見たのみ。
ポストカード。 例によって一番欲しいものはなかった。 いいのさ。本物を堪能できたから。美術館とはそういうところ。
いや、その前に「これは!」と思えるものに出会える、そういうすごいところ。
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ブリヂストン美術館の展示室は回廊型なので、逆行しなくても何回も見ることができて好きです。 好きなだけぐるぐるする埴子。
基本は絨毯敷きの床。 『踏み込まないでライン』を超えると板張りになっているので、足の感覚と音とで気づく仕掛け。 よくできているなあ。どこかモデルになっている美術館があるのでしょうか。
もっとも、踏み込んじゃってる人を多数見かけましたが…
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混雑状況報告。いまさらではありますが、記録として。
最終日。混んでましたよ。当然です。
入場では並ばずにすみました。 2階エレベーター出てすぐ受付、というのは混雑を予想してのことでしょう。 実際、館内の人口密度高し。 絵によっては独占が難しかったです。
日曜日、15−17。 60年を5周して、300年。
2012/06/24訪問 |
このページの画像はすべて、埴子が撮影したものです。 |
2012/07/01up
会場|ブリヂストン美術館 会期|2012年3月31日(土)〜2012年6月24日(日)
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今回は、CJキューブさんの本展のチケットプレゼントに応募して見事当選。ラッキー。
頂いたチケットで鑑賞してきました。ありがとうございました。
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