シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―

 

の 感想文

 

 

埴子はマグリットが好き。マグリットはキリコが好き。埴子はマグリットとキリコを見たい。

 

無意識・夢というキーワードくらいは知っていた。せっかくなので、寝ないで行ってみた。

 

とりあえず飛び込もうとしてみる。

 

初めから惹かれた作品たち。

 

ジョセフ・シマ「正午」1928

何だろう、好き。

雰囲気。明るさ具合。トーン。

ほわーん。でもそれだけじゃない。

もう1枚の、「二重の風景、電気嵐」1928年も、なんだかいい。

 

マッタ「ロゴスの透過‐仮象」1977-1980

最後に展示されていた。大きい。

水没した工場みたい。水中の水紋みたい。

パステルカラーきれい。

きれいだから飛び込めるのかな。単純に大きいからってわけじゃなさそう。

 

アンドレ・マッソン「巫女」1943

ボーっと見てるとなぜか入れる。あんまり好きなタイプの絵じゃないんだけど。

なんででしょう。入りやすいタッチっていうのがあるのかな。相性かな。

 

マリー・トワイヤン「早春」1945

青と白。目が行ってしまう。これは蝶か貝か。貝にしては開きすぎだから蝶か。

石を盛ったお墓。海辺。もちろん暗い。

象徴的な要素が揃いすぎ。でもきれい。でも寒い。でも我慢して見ていたい。

 

 

触ってみたいと思った作品たち。

 

イヴ・タンギー「夏の四時に、希望…」1929

 絵はがき入手

ちょっとダリに似てる。

墨みたい。特に右側のもやーっと立ち昇っているところ。

漂ってるカラフルな連中、指先でつつきたい。ぷちゅって皮が割れて中身が外に漏れて滲んでいきそう。皮も溶けていきそう。

別に気持ち悪くはないな。粘度低め。ダリと比べてるからか。ダリは油性でタンギーは水性。

「岩の窓のある宮殿」1942年も、赤い奴、つつきたい。

 

立体作品。触りたい、回したい、手を突っ込みたい、など。

 

3往復目くらいで文字情報も読んで流れを見る。

 

更に行ったり来たり。

 

ではマグリット、全7点。

「旅の思い出」1926

モチーフが詰め込まれている。やりすぎたな。若いなマグリット。

でもここからそぎ落とされていくわけだ。

 

「秘密の分身」1927

鈴ですけど鳴ってないみたい。今のところまだって感じ。

波。まだ空よりも波。

 

「赤いモデル」1935

木目大好きマグリット。

かがんで見てみると、板と板の間に溝があるのがわかる。キャンバス削ったのか。絵具だけか。

足靴よりも後ろの板に力が入っている。どうしてなのマグリット。

アイデアは出た時がピークってことなの。

引き立て役こそ重要ってことなの。

どうなのマグリット。

 

「夏の行進」1938

この雲。石の枠。うーんマグリット。

 

「凌辱」1945

いわゆる《ルノワールの時代》

金髪、それに呼応する水色の背景。美しい。明るい。

好きかと言われると、それは、そうでもない。

 

「ストロピア」1948

いわゆる《ヴァーシュの時代》

この時代の絵は一度見てみたかったので見れてうれしい。

でもやっぱりという感じ、しっくりこない。もったいない。もっと冷静なほうが、はっきりするというか、くる。

 

でもいろいろやってみることはとめない。とめられない。

 

「ダヴィッドのレカミエ夫人」1967年 ブロンズ

パリから来た棺桶。律義に起きてる。寝ててもいいよ。

同じのを横浜美術館で見たと思うが、複数あるということかな。

全部でいくつあるんだろう。

 

マグリットってシュルレアリストなのかな。

何か他の人と違う。クール、というよりドライ。

力を入れているポイントがずれているような気がする。

もっとも、偏執的という点からいえば、誰よりもシュルレアリストか。

 

デ・キリコ「ギヨーム・アポリネールの予兆的肖像」1914

直線、断面、組み合わせ。配置、デザイン。マグリットが影響を受けてるのがわかる。

というようなことを考えるくらい、あまり感じるものはなかった。

 

でもいつか「愛の歌」を見てみたい。

マグリットが受けた衝撃と同じ衝撃は受けられないと思うが。

 

更に行ったり来たり。

 

ドラ・マール「無題[手‐貝]1934年頃

水字貝か。埴輪にも描かれている直弧文のもとと言われているスイジガイなのか。

気のせいか。

 

ミロ「沈黙」1968

どうしたのミロ。

言いたいことはあるけど黙っているの。そういうことはままあるよね。

ミロは黙って描くのね。

 

興奮状態なのか、思ったほどぼーっとしない。

もう少し待ってみようと座って映像を見る。

映像作品。目が疲れる。

痛い、ぞわぞわ。死、停止。性、違い。

 

寒くなってきた。歩こう。

 

無意識の世界では裸が基本。そりゃそうか。

顔、胸、手。はっきりしてるなあ。

性欲と食欲。

 

人間かどうかは顔でわかる。

でもこれはシュルレアリスムでなくても同じか。埴子はもう初めからそう思っちゃってるし。うーん。

 

もっと他に何かがあるような気がする。

 

あとちょっとのような気がして諦めきれない。うろうろ。

とりあえず作品リストをもらって、気になった作品にマルをつける。

 

水が必要らしいことに気づく。

マルをつけた作品のタイトルに「夏」が入っているものが多いことに気づく。偶然か。

 

みず なつ

 

水の中をイメージさせる作品を思い出してみる。

 

とける にじむ

 

連想。

 

うみ あせ

かいほう よくぼう

 

なるほど。

体液で、湿度、粘度、温度。

欲望、特に性欲と食欲とで、一体化。

いろいろ出てきた。

 

休憩所の大きな窓の外は雨。雪か。寒い。

 

でも雨に打たれてる感じじゃない。既に水の中に浸かってる。

寒いかどうか。暑い感じはしないけど。

夏は違ったか。でもヨーロッパの夏は日本ほど暑くないかもしれない。わからない。

 

また見て回る。

キーワードのイメージを意識して回ると繋がってくる。

 

ピカビア「スフィンクス」1929

これにも水を感じる。でも、とけるっていうのとはとちょっと違う。

 

すきとおる かさなる

 

アンドレ・マッソン「雷雨の中のカエデ」1943/1944

雨、でも水流という感じ。墨のせいか。ながれる。にじむ。

 

更に行ったり来たり。

 

マグリットは湿度が低めなのよね。だからあんまり混ざらないのよね。で、ちょっと浮いてるのよね。なのかしらね。

 

更に行ったり来たり。

 

初めの方に戻ってふと見ると

 

アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 manifeste du surrealisme/poisson soluble1924

あー

ここにヒントが。ああ。

本文は読んだものの、タイトルをちゃんと見てなかった。ごめんよブルトン。

そうか。初めっからそうか。溶ける。魚はもちろん海の魚。だよね。

 

夢と現実を溶かして真の現実に。一体化。

境界線。服。を、取っ払うってこと。

その方法をみんな探っているのか。作品はその結果か。途中経過か。

 

夢の中のことも、見えないけど感じるものも、みんな現実、ということか。

感じるものと思うものは少し違うような気がするがどうなのか。

理想や妄想は、夢や無意識とは別ものなのか。

 

もう一度、気になった作品を見直す。映像を思い出す。

 

うく

 

しぬ ころす

きる くっつける

 

ナイフ、断面、つの。直線的。

 

立体作品は、きるくっつけるしかないだろう、と思っていたが、最後の最後、気付いた。

 

かげ

 

にじむ、かさなる、すきとおる。なんと。

しかも、作品によっては自分も影と重なることもできる。平面作品ではできないことができる。

立体の影を見て回る。

特に、ジャコメッティ「テーブル」。

同じ作品でも展示が違えば違う作品になる。照明だいじだなあ。

気が付くのが間に合ってよかった。

 

文字でシュルレアリスム。

絵でシュルレアリスム。

写真でシュルレアリスム。

彫刻でシュルレアリスム。

映像でシュルレアリスム。などなど。

 

絵といってもいろいろ。表現媒体の工夫。コラージュとか。[油彩/カンヴァス]が多かったけど。

墨っていいなあ。

 

作品によっては、今ならCGでも作れそうと思ったり、むしろCGで作った方がいいと思ったり。

CGでは作れないと思ったり。

 

踊ってみる。

作品として成立するかどうか。

音楽はどうか。

 

得手不得手はある。それが道しるべか。ぴったりを探す。

 

 

パンフレットに戻る。

 

想像力は容赦しない。なるほど恐怖も不安も底がない。

でも、極限の一方はもう一方につながってるとどこかで聞いた。

想像はハイリスクハイリターンか。

 

会場でかなり惹かれたタンギー、なんとパンフレットの表紙。どう考えても目にしているはず。

これを見た時点ではピンとこなかったということか。

複製の限界、薄々感じていたが。サイズの違いも大きいけど。質感が難しいか。

ちゃんと見てなかっただけかも。

 

でも、マグリットは、かつて、絵はがきを見たのが最初のきっかけで好きになったのでした。

そういえば、マグリットはデ・キリコの「愛の歌」を初めて見たとき衝撃を受けたというが、その時見たのは複製だったらしい。

どういうことなの。

 

ちなみに、今回、マグリットの展示作品の絵はがきは販売されていなかった。なぜ。残念。

出展作品全部の絵はがきを用意するって不可能なのか。何か大変そうだなとは思う。

でも公式サイトの人気投票ぐらいは全作品対象にできそうなものだが。

サイトにない絵の前にも結構な人だかりができてたし。

 

 

何かお役に立てることないか。と考えるのはシュルレアリスム的でないのか。

平日、雨、11:0018:00くらい。

それほど混雑していなかった。空いてはいない。タイミングが良ければ好きな絵を独占できる。

室温は、歩きまわることを考えるとちょうどいい。

しかしこの日は寒かったせいか、36分の最も長い映像を座って見ていたら冷えた。

映像、上映箇所はルートの途中に2つ。

スクリーンは全部で4つ。2つずつ90度に対置されていて、1スクリーンにつき1作品を繰り返し流していた。

長いもので36分、短いものは2分。

椅子が空いていても立ち見する人が多かった。

 

アンドレ・ブルトンのアトリエの映像もあり、独立した部屋のテレビで流されていた。25分程度。

ブルトンの書くフランス語は分からなくとも、ブルトンが集めたらしきオブジェや絵からブルトンが少し見える。

ひとつひとつをじっくり見たらもっとわかるのかも。

 

 

長い感想文だ。長くいたせいか。こんなに長くいるはずじゃなかった。徹夜すると腹時計がうまく働かない。

思考は言葉を使うというのが良くわかった。

感覚を言葉にするのは難しいことも再認識した。

 

連想がきりない。

まだ終わらない。

本当に容赦ない。

 

いいと思った作品、もっとあるんだけど。

マルをつけたもの、作品は49点、資料は7点。

 

本当にきりがないので、感想文はこの辺で終わりにします。

 

 

アーティストの名前、作品名、制作年は、本展の作品リストから書きうつさせていただきました。

 

 

2011/02/28訪問 

終わりにするといいながら2011/03/09更新

 

 

会場|国立新美術館 企画展示室1E

会期|201129()59()

※毎週火曜日休館(ただし53日は開館)

開館時間|10:0018:00※金曜日は20:00まで

326日(土)は「六本木アートナイト2011」開催に伴い22:00まで

 (入場は閉館の30分前まで)

入館料|一般1500円 大学生1200円 高校生800

 

 

  

 

 

このまえの感想文 20112

「『日本画』の前衛 1938-1949」展

 

このあとの感想文 20114

田中靖夫 のびる針金 THE WIRED UNIVERSE

 

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