「生誕100年 岡本太郎」展
の 感想文
太郎と埴子
勝手にコラボレーション
「ノン」1970年 拒否しているけどかわいいので近づいちゃう。後ろに回って頭の中のぞいちゃう。 ノンちゃんFRP製ってどうなのかしら軽いのかしら。さすがに持ってみるってわけにはいかなかったけど。
「午後の日」1967年 文句なしのかわいさ。 かわいくなっちゃうのをこらえられない太郎。なんて日本的。
「樹霊U」1971年 洞の中をのぞくと、カラフルな縞々。
それにしても、狭い。暗い。もったいない。 太郎の作品はもう少し広くて天井が高くて明るいところが映える。 こうしてまとめてみられるのはありがたいけど。 太郎の立体はお外に持っていくしかないかも。
「作家」1948年 左手キュート。 ペン先からの色線、ファンタジー。 太郎のパパ。漫画家だったパパ。
「駄々っ子」1951年 太郎、自覚はあるのね。 顔の形が本みたい。 太郎はなぜかリボンが好き。
「駄々っ子」はひょっとして、ダダイズムと関連があるのか? ダダ批判? ダダ、無意味、破壊、否定。 「ノン」も? 太郎なら、どちらかと言うとダダへの共感かも。
時代的には、ダダは太郎の活躍時期よりだいぶ前だが。
たろうのうねり。 うねりととがり。 とがりのかくど。 それがそんなに鋭くないあたり。でも、ぐにっと入ってきそうなあたりが太郎。
赤。赤と黒。そして青。黄色。 Taroの色遣い。この色のセンスは日本ぽくない。パリ? も、また違うか。
太郎の撮った縄文土器と土偶の写真。
まあ縄文でもいいけどさ別に。 確かに太郎には埴輪は似合わないし。縄文文化がしっくりくる人だわ。
人の撮った写真に飽き足らず、自分で撮影するという感覚はわかる。 その人しか気づかない角度、切り取り方がある。 「これのここ、いいでしょ」。うん。 いいとこに気づかないと、腕があってもどうにもならん。
「赤」1961年 そう太郎は赤。 でも赤と黒だけのこの絵よりも、青や黄色が入った他の絵の方が、太郎は赤だなー と思わせる。
「殺すな」1967年 墨で書かれた文字が、絵や立体の作品の、うねり・とがりの具合とそっくり。 これは当たり前なのかな。
自分の文字と自分の埴輪を見比べてみる。うーむ。わからん。
最後の眼のところまでくると、若いころの理屈っぽさがとれて、爆発というより解放されている。
しかし眼だらけ。やっぱり狭いよー。
「坐ることを拒否する椅子」 連れは坐ることを拒否する人でした。私は空いている椅子に坐ってみました。坐れました。 しかし、そういう物理的な意味ではなかろう。
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GW直前の平日13‐14くらい。混んでいました。やや騒がしい。でも一往復半。 入館前、ガチャガチャに行列。帰る頃には売り切れ。 太郎と大量生産は相性がいいのかもしれない。 しかしそうやって消費されてしまうのはどうなのか。 大衆の太郎だからいいのか。 どうなの太郎。
「坐ることを拒否する椅子鉛筆」を入手。赤、黒、青、黄の全4色。 作品のデザインがよく生かされたグッズと思います。ちゃんと色鉛筆。 坐れはしない。
ポストカード3枚も入手しましたが、「ノン」と「午後の日」は展示のものとは同型の別ものらしい。 「午後の日」は、展示されていた方は白一色、ポストカードの方は半分金色。 右下は「駄々っ子」
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入館した証拠。 太郎は言葉の人でもある。
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2011/04/28訪問
会場|東京国立近代美術館 会期|2011年3月8日(火)〜 5月8日(日) 休館日|月曜日[3月21日、3月28日、4月4日、5月2日は開館]、3月22日(火) 入館料|一般 1,300円
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