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壺形埴輪
壺形埴輪には、単独の壺と、人物埴輪の持つ壺とがあります。
単独の壺は、成形時から底なしの大概の埴輪とは違い、 壺として作った上で、底や胴に穴を開け、焼成したようです。 初期には円筒埴輪の上に乗せられ、後には地面に直置き。
壺を持つ人物埴輪は、たいてい女子。 両手で捧げ持ったり頭に乗せたり。 なんにせよ、不安定な壺には支えが欲しい。
壺の中身はなんじゃろな。それは目には見えません。 |
差し出しているのか ねだっているのか |
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2012/03/03up
2014/06/23修正・加筆
穴があいているということは、
壺の中身は穴があっても平気なもの、ということでしょうか。
ちなみに、人物埴輪が持っているほうの壺には、底にも胴にも、穴はあいていないようです。
最初のころの壺形埴輪 |
壺形埴輪のルーツは、吉備地方の弥生墳丘墓で多く出土した特殊壺。 特殊壺は、特殊器台とセットで出土しています。 特殊器台の上に乗せられていたのでしょう。
特殊壺のルーツは、 特殊じゃない器台の上に乗せられていた、特殊じゃない壺。 器台がないことには、ちょっと区別できませんね。
その壺のルーツは、 器台の上に乗せられていない、普段使いのただの壺、 ということになるのでしょう。
壺はいつ生まれたのでしょうね。 そこまでさかのぼるのは大変。
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最後のころの壺形埴輪 |
埼玉古墳群最後の前方後円墳である中の山古墳(6世紀末-7世紀初め築造)からは、 円筒埴輪は出土せず、「須恵質埴輪壺(すえしつはにわつぼ)」が出土しています。 須恵器のように高温で焼かれたらしく、硬く灰色です。 安定感のある形。丈の詰まった朝顔形円筒埴輪といったところ。 底は、焼成後にくりぬかれたようです。
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壺をきっかけに始まった埴輪は、壺となって終わった。
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2014/06/16追記 2014/06/23修正・加筆 |
参考文献
近藤義郎(2002) 「吉備考古ライブラリィ8」『楯築弥生墳丘墓』吉備人出版
福本 明(2007) シリーズ「遺跡を学ぶ」034『吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓』新泉社
高田 大輔(2010) シリーズ「遺跡を学ぶ」073『東日本最大級の埴輪工房・生出塚埴輪窯』新泉社
参考サイト
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考え方によっては、壺形埴輪はもう一種類あります。 壺と円筒埴輪とが一体化した朝顔形円筒埴輪です。
しぶとく円筒に乗り続けていたら、 円筒埴輪とくっついてしまった壺。
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こころの眼でみつめて こころの耳をすまして こころの鼻でくんくんくん
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