チューリヒ美術館展 ―印象派からシュルレアリスムまで
於・国立新美術館
の目撃談 (2014の25)
浮き出る
飛び出る
その名前
呼びとめるのは
どの名前
入口に空間をたっぷり取り、混み合わないよう配置が工夫されている。
部屋ごとに画家や画風などのテーマを設けている。
トップのセガンティーニ部屋は二点のみ。 ジョヴァンニ・セガンティーニ《淫蕩な女たちへの懲罰》1896/97年 寒い。きびしい。でもなにか魅かれる。
クロード・モネ《睡蓮の池、夕暮れ》1916/22年 悪くはない。好きではない。色がモネじゃない。 大きすぎるせいか、背景だけ、という印象。
クロード・モネ《ノルマンディーの藁葺きの家》1885年 良いモネ。
クロード・モネ《陽のあたる積み藁》1891年 これもまあまあ、と、積み藁の影の色をよく見たら、なんてきれいなのか。 心臓に来る。 これはコピーじゃ出せなくても仕方ない色。
影がきれいってあたり、印象派っぽい。
フィンセント・ファン・ゴッホ ≪タチアオイ≫ 1886年 縦長のせいか、遠目に気になった作品。 近づいてみて、これゴッホなのか、と思った作品。
フィンセント・ファン・ゴッホ《サント=マリーの白い小屋》1888年 エネルギーを発している。 オレンジがかった黄色の地面に、青い空、白い小屋。 ゴッホに白のイメージはなかった。 ゴッホの色はやはり黄色。青は黄色を引き立てる色。 参考の目撃談 没後120年 ゴッホ展 しかしこの絵は、白あってこそだなあ。 ゴッホのタッチがくっきりしているし、間違いなく本展一番。
ホドラーはちょっと残念。 フェルディナント・ホドラー展がよかったので、本展のホドラー部屋も期待してしまった。 いいものを見た後では、ホドラーのよさがない、さえない作品ばかりと感じた。 特に山のいいものがない。
フェルディナント・ホドラー《真実、第二ヴァージョン》1903年 208×294.5cm これは迫力があった。 周りの男たちはいらない。
フェルディナント・ホドラー《遠方からの歌》1917年頃 《真実、第二ヴァージョン》とポーズが似ている。 塗り直して描き直している途中、に見える。 フェルディナント・ホドラー展の《遠方からの歌V》1906-7年のほうがよかった。
参考の目撃談 フェルディナント・ホドラー展 の目撃談
エドヴァルド・ムンク《冬の夜》1900年 ザ・ムンク。寒い。木の間からのぞく白い雪が、人魂に見える。
エルンスト・バルラハ《難民》1920年 ムンクの部屋から表現主義の部屋に向かおうとして目に入り、その時点でおっと思った作品。 彫刻が見る角度によって違うのは当たり前だが、この作品は特に人物の左右でだいぶ違う。 まわりをうろうろして見てしまう。 抱えているのは何? と考える、というか思いをはせてしまう。背景を知りたくなる。 本展唯一の木の作品。 だからというわけではないのでしょうが、立ち止まって、じっくり見る人多し。
マックス・ベックマン 《女優たち》1946年 顔の見えない女優は、鏡のなかでも顔を見せない。
ココシュカは5点。なかでは2点がちょっと気になった。 オスカー・ココシュカ 《騎士、死、天使T》1910/11年頃 オスカー・ココシュカ 《恋人と猫》1917年 Oskar Kokoschkaのサインは”OK”なのですが、 作品を見るに、精神状態はぜんぜんOKじゃない。
モーリス・ド・ヴラマンク《シャトゥーの船遊び》1907年 青がいい。 強くて爽やか。
パブロ・ピカソ《ギター、グラス、果物鉢》1924年 ジョルジュ・ブラック 《暖炉》1928年 ふたりが共同制作をしていたのは第一次世界大戦がはじまる1914年まで。 でも、どちらの絵にも、同じものが描かれている。ギターと果物鉢。
キュビズムには欠かせないモチーフなのでしょう。
最初の引力はピカソのほうが強いけど、最終的にはブラックに引き寄せられる。
パウル・クレー《狩人の木のもとで》1939年 脳みそ? と思ったら木。 迷路みたいでもある。 色は明るく柔らかい。楽しくやさしい絵。
パウル・クレー 《深淵の道化師》1927年 歯が一本一本しっかり描かれていて、子供の絵のよう。
パウル・クレー《スーパーチェス》1937年 じっと見ていると、立体化してくる。 現実と違う方向に天地を感じる。
マルク・シャガール 《窓から見えるブレア島》1924年 窓の外の景色より、窓枠に吸い込まれる。 色、タッチ。水彩のようだ。 窓の向こうは、空と雲が反転しているかのようだ。 シャガールには、夜の空に浮かぶ夢という印象を持っていた。 この作品は、昼間の現実を讃えている感じがする。晴ればれと明るい。
マルク・シャガール 《戦争》1964/66年 地獄変。 と思ったのは会場に来る前に地下鉄の中で読んでいたからに過ぎない、か?
満月と三日月ならぶシュルレアリスム。 マックス・エルンスト《都市の全景》1935/36年 ルネ・マグリット《9月16日》1956年 どちらも客観性を強く感じる。 《9月16日》はアントワープ王立美術館所蔵のものも見た。 そちらの方が大型で青が濃い。 参考の目撃談 アントワープ王立美術館コレクション展 本展のチューリヒの作品はグレーがかっていて落ち着いた感じ。 こちらもいい。でもマグリットなら青かな。
ジョルジョ・デ・キリコ《塔》1913年 キリコ要素は、くすんだ緑、くすんだオレンジ、斜めの直線。 不安な空気は控えめ。 参考の目撃談 ジョルジョ・デ・キリコ −変遷と回帰− の目撃談
ジョアン・ミロ《絵画》1925年 右にある円の重なりが、色のせいか、コーヒーカップに見える。 喉が渇いているせいかもしれない。いただきます。ごくごく。
イヴ・タンギー《明日》1938年 海の底で、実は起きていること。というイメージ。 参考の目撃談 シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―
ラストはジャコメッティの部屋、ブロンズ彫刻5点。油彩1点。 アルベルト・ジャコメッティ《立つ女》1948年 アルベルト・ジャコメッティ《森》1950年 製作の成果が凝縮されている。 みな足が大きいのは、細長い立像を安定させるためなのか。
アルベルト・ジャコメッティ《矢内原伊作の肖像》1957年 油彩といっても、デッサン段階。 しかし、この顔、この鼻。
ジャコメッティの追求するヤナイハラのピラミッド、ようやく見ることができた。 もっと見たいが、ジャコメッティの絵はどのくらい残っているのだろう。 やり直すために消してしまうからな。 彫刻もだいぶ毀してしまったらしい。
破壊なくして創造なし。 いちどリセットしないと、もういちどはじめられない。
ここにいるのは無事に残った作品たち。
思いがけず衝撃をくらわしてくる名作の数々。 目がひらかれる喜び。 期待以上の展覧会。
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今回の特記事項
各部屋冒頭の解説が非常に分かりやすい。 関連する作品のNo.が記載されている。 パネルも見やすかった気がする。フォント、というか、字の細さのおかげか。
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混雑状況報告。
空いてはいません。
とはいえ、チケット売り場も、入場も、並ぶ必要はなし。 会場内も、人が溜まって進めないということはなかったです。 部屋の独占は無理。 絵の独占は、何とか可能。
3往復半ぐらい。
2014/11/21(金)11:30-13:30訪問 |
人が殺到している
かのように見えますが、たまたまです
人の波の波
波の底
このページの画像はすべて、埴子が撮影したものです。 |
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