高松次郎ミステリーズ
および
所蔵作品展 「MOMAT コレクション」
(および 「奈良原一高 王国」)
の目撃談 (2015の01)
数学者高松次郎は、永遠に到達し得ないゴールを設定し、そのゴールに迫る。
影ラボ。 ものには影がある。 影で存在が確かめられる。 そういえば、影を売り飛ばして後悔する話があったな。
《瓶の紐》1963/1985 瓶の中に紐を入れる。 区切られた空間を埋める。
点と線。 四角い渦巻きのドローイングが魅力的だった。
キャンバスが描く絵。 点と線で直線を引くキャンバス。 点と線があれば、コンパスが作れる。コンパスで弧を描くキャンバス。
直線と曲線。 直弧文だ!
遠近法。 遠近法を疑う。遠近法を利用する。
《カーテンをあけた女の影》1965 石膏像、描かれた石膏像、石膏像の影、石膏像の輪郭に切り取られた穴。 青い色も手伝ってか、マグリットを思い起こさせる。
《日本語の文字》1970 《英語の単語》 1970 言葉が何かを指すことをやめ、言葉が言葉そのものを指す。 これも発想はマグリットっぽい。 絵は何かを指しても、そのものではない。「これはパイプではない」
《台本[エディション版]》1980 少しずつ違う15の台本。 コピーは劣化する、とのこと。 台本そのものなのか、上演についてなのか。 ともかく、オリジナルにしかないものがある、というのはわかる。 例えば、展覧会のサイトやチラシを見て、展覧会に来ると、感じる。
《写真の写真》1972 コピーは劣化するってことを示したのか。 と思ったが、製作順が逆。 コピーは劣化するってことを、このとき感じたのか。
《杉の単体》1970 木を眺めていて、この中には自分の家にあるような柱が存在するのだ と気づいて作った作品らしい。 この考え方からも、木という素材からも、連想されるのはやはりマグリット。
会場中央、木のステージの上に、アトリエの再現。
「The Birth of Land」(1979)という二ヶ国語絵本が置いてあった。 「国生み」と和訳があったので、おやっと思って手に取る。 やはり日本神話だ。 まさかここで会うとは、という驚きですこし舞いあがる。 ざっと読む。 もちろん絵は高松次郎なのだが、正直、文章や、本のコンセプト、スタンスのほうに興味をひかれる。
ちなみに、サイトの作品リストにはなかった。なぜ。自分で少し調べる。 日本語担当(再話)の「らくだ こぶに」は谷川雁の別名らしい。 英訳はC.W. ニコル。
ステージからは会場が見渡せる。 ここで反すうしたり、客観視したり、頭の中を整理したりできる。
ステージの壁に、高松次郎の言葉。 自己を無にして表現すべき、など。
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今回の特記事項
はじめのほうにある影ラボは撮影可。 最後に戻って来て撮ろうかな、と思っていたのですが コピーは劣化する、と高松次郎に言われてしまったりして、結局撮らず。
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所蔵作品展 「MOMAT コレクション」
4F
荻原守衛《女の胴》1907 小さめのブロンズ像だが、魅かれて、周りをぐるぐる回って見てしまった。
《『新しき村』第5年4月号》1922年 おお新しき村、武者小路実篤。ひょっこり現われた実篤。 ちょっと手に取って見てみたいが、ケースの中、表紙しか見えない。 「日向」の文字が見える。 絵はおそらく岸田劉生。
岸田劉生《自画像》1913 劉生が描いた実篤の肖像画を思い出す。
3F 上田臥牛《冬樹》1967 鉄パイプのような枝が、前に突き出ている。 存在感。空間。 思わず立ち止まって見てしまった。 これは本日一番。
2F 高松次郎 紙の単体(白) 1972 ここにもいた高松次郎。これが、よかった。
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奈良原一高 王国
いちおうレポート。
《沈黙の園》は衣服のほうに目が行ってしまう。 そのせいか、写真としての面白さを感じ取れなかった。
《壁の中》は歩きながら一通り見ただけ。 じっくり見る気がしないのは、のぞき見している気分になるからか。
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混雑状況報告。
全体にほどよく人がいました。 一周。
2015/02/25訪問 |
2015/02/27up
高松次郎ミステリーズ 会場|東京国立近代美術館 会期|2014年12月2日(火)〜2015年3月1日(日)
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