没後50年 小杉放菴 ―〈東洋〉への愛―
於・出光美術館
の目撃談 (2015の02)
どの絵も柔らかい印象。 絵によっては、ちぎり絵のようだ。
若い頃は少し違う。未醒と名乗っていた頃。芥川龍之介に未醒蛮民と呼ばれていた頃。
《漫画十五題》 これは線画。 猪八戒がいた。 猪八戒の猪はイノシシではなくブタを指すらしいが、放菴の猪八戒はイノシシ寄りかな。
大正2年(1913)、パリへ。 ユトリロやヴラマンクの影響を受けたらしい。それらしき絵が並んでいる。 消化しきっていないからか、これというものが見あたらない。
パリで江戸に出会う放菴。 池大雅の「十便図」の複製画に衝撃を受ける。
複製であっても、力あるもの、触媒となるものが存在する。
《初夏山雨》 雨だが光が差している。 黒い岩で枠を作る試み。差し込む光が際立つ。
《湧水(いずみ)》大正14年(1925) 曲線で描かれた女性像。 日本画のような油彩画。 この淡く温かい色や線が持ち味のようだ。 東大の安田講堂の壁画の原画らしい。
《炎帝神農採薬図》大正13年(1924) 左の老人がなんだかよい。神さまだそうだ。 これも油彩だが、ほわん、ぼわん、とした印象。 大阪市立大学医学部附属病院所蔵。
《竹裏館》 池大雅 岩の上に琴を置いて弾く。手前の人びとは、それに構わずお茶かなんかしている。 おおなんだかいい、この力の抜けた感じ、と思ったらこれは大雅の作品。 放菴の《竹裡館》は琴そっちのけで思いにふけっているみたい。 大雅のほうが好きだなあ。
放菴も大雅に夢中。 中国を旅する。 横山大観にも影響を受ける。 日本画の画材に興味を持つ。
麻紙(まし)との出会い。
「麻紙の放菴か、放菴の麻紙か」 画材との一体化。 ちぎり絵ふうの柔らかいタッチや暖かい色合いは、麻紙との合作か。
紙職人への注文多し。
《帰院》大正15年(1926) 見ていて気持ちがよい。 人物が主張していないのがよい。
《釣秋》大正9年(1920) こちらも。
《白雲幽石図》昭和8年(1933) 庭の石に乗り、妙高高原を眺める放菴。 石だけを描いている。地面がない。 この絵の中の放菴は石をあやつり飛んでいるようだ。 線の細やかさにもはっとさせられる。
《さんたくろす》昭和6年(1931) 和洋折衷の極みか。 家は西洋寄り。煙突がいるからかな。
《洞裡長春》昭和3年(1928) 黒い岩の枠を忘れていない放菴。 洞穴の外は春。
《天のうづめの命》昭和26年(1951) これもよかったが 《古事記八題》昭和16年(1941) こちらの天のうづめの命のほうに、なぜかひかれた。
《山夜友あり》 コノハズクがぎょろっとした目でこっちを見ている。 この元としたであろうコノハズクのデッサンもよかった。閉じている目、開いている目。
山鳥のデッサンには、本物の羽根が貼りつけてあった。
《萩》 月の下の萩、その下のうさぎ。 うさぎの正面顔はおもしろい。
他にもひかれたものがあったのに。 鑑賞時にタイトルをしっかり見ず、後で出品リストをチェックしたので、どれだかわからずじまい。 うかつ。
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陶片室。
こんなところに 土師器と須恵器。 しかし埴輪はなかった。
弥生土器の底に「益子」と書いてあった。 益子焼の大先輩。
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ルオーとムンクの部屋。
ルオー 油彩連作《受難》 《受難》 3 “・・・影まぼろしのように彼は進む” 《受難》 7 “渡り者と農夫たち” 《受難》17 “悲しみの独房・・・” 《受難》22 “燃ゆる灯火の芯のごとく・・・” (展示期間 2015年1月10日〜3月29日まで)
大きくふちどられている、というより、小さな窓から絵がのぞいている。
ムンク 《クラーゲルーの庭》 1909年 明るい色づかい、古典的な構成の風景画、なのに不安定に感じる。 ムンクの絵だと思って見ているせいか。 気のせいとしても、病人のいる部屋には飾れない。
《犬小屋にて》 1913〜15年 《子供とアヒル》 1913年頃 色も表情も、はっきりあぶない。
タッチのせいなのかな。 青系統の色の入りかたかな。
(展示期間 2014年9月23日〜2015年8月まで )
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2015/03/11訪問
2015/03/12up
没後50年 小杉放菴 ―〈東洋〉への愛― 会場|出光美術館 会期|2015年2月21日(土)〜3月29日(日)
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