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マグリット展

於・国立新美術館

の目撃談 (201504)

 

カーテンが引かれて

 はじまるよ

 

《ある聖人の回想》1960 のカーテンは 片側の上のほうが少しめくれています

 

本展入口のカーテンは

片側の裾が 少しめくれています

 

 

一回目の訪問(東京展前期)

 

問題の答を描くマグリット。

自問自答の禅問答。

 

 

初期の作品や、商業デザイン。

時代の空気をいっぱい吸い込んでいる。

構図のセンスは、このころに磨かれたのか、その前の学校時代に培ったのか、天与のものか。

マグリット作品ではよく見る、絵の中のキャンバスや額縁。絵の右側の枠。手前の手すり。

 

《田園》1927

これなんかも構図のよさを感じる。

横に流れる境目と樹木との取り合わせは、見覚えがある。今回は出ていないけど。

 

《発見》1927

出てきた木目。女の体に木目。

 

キャプションによると

 複数の異質なものの組み合わせや並置ではなく、一つがもう一つへと『次第に』変化していく

と感じたらしい。

 

「複数の異質なものの組み合わせや並置」までだと、シュルレアリスムっぽい。

そこにとどまらなかったマグリット。

シュルレアリスムの枠からはみ出したのは、ここか。

溶けて消えた境界。

時間という要素。

 

《桟敷席》1925

《博学な樹》1926

《困難な航海》1926

室内が舞台だったり、遠近法が駆使されていたりで、デ・キリコの影響を感じる作品群。

 

《深淵の花》1928

馬の首から外した鈴は、花になる。

 

《恋人たち》1928

キスと頬ずりの二作品。

キスも頬ずりも、ヴェール越しの恋人たち。恋は盲目だからか。

 

マグリットと妻のジョルジェットが頬ずりしている写真があったなあ。

展示はなし、探してみたら図録にあり。結婚した年の写真。ヴェールはかぶっていない。

 

《呪い》1931

この空の青さと雲。マグリットだ。雲が出ているが、きれいに晴れている。

だが、見とれることが許されない作品。

 

タイトルと描かれたものとの距離。そこに意味を感じてしまう、のが人であるということか。

などと考えてしまう。

 

考えているとき、私は目の前の作品を味わっているのかいないのか。

 

《夏》1931

これが来ている。うれしい。見たかった。

イメージしていたよりも大きいキャンバスだ。青と雲がしっかりマグリット。

旗が目に飛び込んでくる。

見られてよかった。

 

《美しい虜》1931

《人間の条件》1933

キャンバスの中のキャンバスは、風景を切り取っているかのように見える。

見えるままに描くのは、画家の夢か。

キャンバスの向こうは、果たして絵とおなじなのか。

 

《野の鍵》1936

割れたガラス。その向こうが見えている。

ガラスに描かれた絵とガラスの向こうは、一致しているのか。

ガラスの向こうも、ほんものかどうか。

 

《終わりなき認識》1933

球体の上に立って遠くを眺めている人。

冷たくて硬質だけど、金属的ではなく少しだけ引っかかりのある質感。やはり石かな。

 

《前兆》1938

黒い岩の縁取りの向こうに、鳥あたまの山。

吸い込まれる。

 

《空気の平原》1940

葉のような木か、木のような葉か。

緑を厚く塗ったからか、ひび割れている。葉脈に見える。計算外のおもしろさ。

空の雲や光には、神々しいものを感じる。

すべてに言えるけど、オリジナルは力がある。この作品は特に、コピーじゃだめだ。

 

《ポール・エリュアール『眠りの倫理性』レギュイユ・エマンテ刊》1941

資料として展示されていた書籍の1ページ。

木(というか丸太?)に縛られている鳥。

木がなくては眠れない?

 

《人間嫌いたち》1942

灰色のカーテンたくさん。引かれて縛られている。ということは、開いているわけだが。

嫌いだけど、オープンなのか。

木が一本だけある。

 

《心のまなざし》1946

顔っぽく見える家ってある。描かれた家は大概そう見える。

この絵の家は、おもちゃの家をたくさんくっつけたような家。顔がいっぱいあるような家。

バランスを無視した設計なのか、絶妙なバランスの設計なのか。

窓いっぱい。同じ面についているので、同じ方向を見ているように見える。

この家は、何を見ているのか。

 

《手の力》1947

コップが大きいのか、城が小さいのか。

基準がないと、大きさが分からなくなる。

手は神の手か。

 

《精神の自由》1948

見る人には振り回されない、ということか。

分析されるのをいやがるマグリット。

手に持っているのはパイプ。いや、これも本当はパイプではない?

 

《光の帝国U》1950

昼と夜の同居。

真昼と真夜中が、マグリットの時間。

 

本展には、夕日の描かれた作品もいくつか。

でも、夕方はマグリット向きの時間帯じゃない。

細い月の絵も多かったけど、細いということは夕方か明け方だから、ちょっとちがう。

 

《説明》1952

同サイズのキャンバスの、よく似た《説明》が二枚ならぶ。

瓶とも人参とも言えない物体。

瓶が、人参になることで、何かを説明しているのかもしれない。

いや、人参が、瓶になるところかもしれない。

 

《ゴルコンダ》1953

これも見たかった。

それぞれの地平に立つ山高帽の男たち。

同じ速度でゆっくり降りてくるように見えるのはなぜ。

 

《自然の脅威》1953

石の人魚たちと、誘惑する船。

誘惑者は、単独の作品を見たいなあ。

  

《無知な妖精》1956-7

52×330cmという横長作品。マグリットのモチーフが詰め込まれている。

石の魚と、その前にたたずんで会話する二人の山高帽の男。

昼間、光ではなく暗闇を灯すろうそく。

葉のすがたの木は枯れる。

馬に乗る彼女は、おそらく白紙委任状を持っている。

 

《ガラスの鍵》1959

山あいに立つ岩。涼しい。

岩を見よ。岩を見上げよ。

 

《同族意識》1963

よく見ると、たたずんで会話する二人の山高帽の男がいる。この小ささよ。

 

《大家族》1963

《空の鳥》1966

暗い空に浮かぶ、昼間の空。鳥の形の、青空と雲。

昼間、鳥に押しのけられた空が、夜に戻ってくる?

 

水平線と、地平線。

 

《影》1966

木の影はパイプ。

高松次郎を思い出した。

高松次郎ミステリーズ の目撃談

 

《テーブルにつく男》1967

未完の遺作。

マグリットが実際に使っていたイーゼルにかけられていました。

首のない男と、テーブルの上の手。

切り取られた手は、《困難な航海》1926年にもあった。あまり見ないモチーフ。

死を予感して、初期の自分を振り返ったか。

 

デ・キリコの《愛の歌》の手袋も連想させる。

かつての衝撃がよみがえったのか。

ジョルジョ・デ・キリコ −変遷と回帰− の目撃談

しかしデ・キリコの絵が図録には見あたらない。残念。

 

《イメージの裏切り》1952

本展の最後に展示してありました。

墨で描かれた、19×27cmの小さな作品。

ですが、パイプも、テーブルの木目も、『これはパイプではない』も、マグリットの大きな要素。

本展では木目よりも石が目立っていたので、もっと木目が見たいなーと思っていたところでした。

納得の幕切れ。

 

 

 

 

 

 

作品リストは年代順。

展示は、かなり前後しています。リストの章番号を見ても分かる。

図録も。

 

きれいに年代順に置けないあたりも、デ・キリコみたい。

 

ジャコメッティがたどりついた語り方も思いだした。

『突然、私はすべての出来事が私の周囲に同時に存在しているという感情をもった。時間は水平の円環になった。時間は同時に空間だった。』

『夢・スフィンクス楼・Tの死』ジャコメッティ の読書感想文

 

 

同じ絵であっても、

家で図録・画集・ポストカード類を眺めるときと、

本展のような展覧会でほんものを観るのとでは、違う。

 

日常のマグリットと、

非日常のマグリット。

 

日常は、知らず知らず、浸み込む。

非日常は、瞬間的に奥底まで響く。自分の反響が聞こえる。

 

 

 

会場内の休憩室で、マグリットの映像が流されていました。

ちゃんと見なかったけど、帽子で遊ぶおちゃめな大人たち。など。

 

 

 

混雑状況報告。

チケット購入行列なし、入場行列なし、場内も行列して見る必要はなし。

予想に反して空いていました。平日昼間とはいえ、びっくり。

ゆったり見られます。

少しのあいだなら、どの絵も独占できます。

3往復半ぐらいしました。

 

ルーブル展のほうに人が回ったからかな。そちらはかなり混んでいるようでした。

会期の前半だからかな。

 

一回目  2015/04/23(木)訪問 

  

ミュージアムショップの天井には傘

コップは乗っていませんでしたが

モチーフとした作品はおそらく

《ヘーゲルの休日》1958

 

 

 

二回目の訪問(東京展後期)

 

一回目と同じものを感じたり、少し違うものを感じたりする。

 

《嵐の装い》1927

前回はあまり引かれなかったのに、今回はいいなと思った。

影によるリアリティ。コラージュではない。

背景の嵐の海。海もマグリットの重要な要素。

 

《呪い》1931

冷静に引いて見てみる。上手いなあと思う。

 

《夏》1931

やっぱりいいな。青が濃くて。

建物のたくさんの窓、みんなカーテンを引いているのに中が見えない。

気になる。少し。

 

《心のまなざし》1946

全体にピンクがかった色がめずらしい。

家に幾つか付いている煙突が、ろうそくみたい。

前回はおもちゃに見えたけど、今回はお菓子に見える。

 

《現実の感覚》1963

今回の目当て。(5/13より展示とのこと)

期待以上!

空の上の方の青。マグリットのいい青。

下の方の淡いバラ色。モネのような色。岩にもこの色が映っている。

 

《白紙委任状》1966年 グアッシュ

これも東京展後期のみ展示。

1965年の油絵作品との違いを探して楽しむ。

油のほうが、色がいいな。

 

《ポール・エリュアール『眠りの倫理性』レギュイユ・エマンテ刊》1941

前回見た、木に縛られた鳥がいないなーと思ったら、ページがめくられていた!

今回。髪の下は女の顔ではなく、牢。中は真っ暗。

 

 

大きな鈴、あれは鳴るのだろうか?

銅鐸を思い出す。音を出すものではなくなっているのかも。

巨大化は、役割を変える。

 

 

 

会場内のどれだかの説明書きに、

 となり合う事物は、モザイクのように接し合っている

といった内容がありました。

『シュルレアリスム革命』第12号だったかなー

そういえば、これの訳文は図録にない。載せてほしかった!

 

 

会場内の休憩室の映像を一部見ました。

4種類かな。

《記憶》1948年 の石膏像と思われるものが映っていました。

映り込んでいるマグリット作品の中には、本展出品作もあれば、そうでないものもある。

見たことのないものもあった。

その絵を見せてー、といいたくなる。

映像はモノクロなので、実物はどんな色彩なのかわからないし。

だから、見せてー

 

 

 

混雑状況報告。

チケット購入行列なし、入場行列なし、場内も行列して見る必要はなし。

少しのあいだなら、だいたいの絵を独占できます。

ゴルコンダの前は混んでいました。

前後左右を注意して、飛ばしたり戻ったりして回れば、寄って見たり引いて見たりできます。

前回(4/23)より、やや混んでいたように感じました。

 

もう一度見たい、後期のみ展示の作品が見たい、最終週はたぶん混む。

で、この日(6/12)の再訪問でしたが、まあ正解だったようです。

 

1往復半ぐらい。

 

 二回目 2015/06/12(金)訪問 

  

 このページの画像はすべて埴子が撮影したものです。

 

 マグリット展

会場|国立新美術館

会期|2015325日(水)〜629日(月)

 

会場|京都市美術館

会期|2015711()1012(月・祝)

   

 

  

2015年、今年もいいものたくさん見た。

 

時は流れる。ふと振り返る。

 

問うてみる。

「もういちど見ることができるとしたら、どの展覧会を見るか?」

マグリット展だ。

 

いつも隣にあるのに、なぜか踏み込めない異次元。

マグリットがいると、スッと入れる。

出て来られなくなる不安は、不思議とない。

 

入り込んだ異次元、時代はいつだろう、と考える。

マグリットの生きた時代か? そうとは限らない気がする。

異次元では時間を自由に移動できるのかも。

 

やはりジャコメッティの『時間は水平の円環になった。時間は同時に空間だった。』が浮かぶ。

 

よく考えたら、古さを感じないのはすごいことだ。

いつでも新鮮、というより斬新。

 

強烈すぎる発想に意識を持っていかれがちだが、仕事の丁寧さにも改めて驚いた。

部分的に見たらかなり写実性が高い。

 

 

 

また見たいなあ。

できれば、もっとたくさん、いろんな作品を見たい。

 

京都展も見たかったな。

東京展前後期でもかなり楽しんだけど。

 

今年のマグリット展の一番すごかったところは、期待を上まわったことだろう。

 

 

 

  

    

 

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