伝説の洋画家たち 二科100年展
於・東京都美術館
の目撃談 (2015の12)
海外から新しいものを取り入れて、かき混ぜながら模索する。 混沌から上澄みをすくい出す。 ここにないものをつくり出す方法の一つ。
十亀広太郎《顔》第1回二科賞受賞作(1914年 東京国立近代美術館蔵) 多色刷りの版画のよう。遠目にも鮮やかだった。
しかし、初回の二科賞受賞作というなら、本展では重要な作品のはず。 にもかかわらず、公式サイトでは作品どころか名前すら紹介されていない。 私もこの作品を見るまで名前を知らなかった。 もちろん無名ではないのだろうが。 賞は未来を約束しない。誰もが伝説にはなれない。
中川一政《春光》第2回展(1915(大正4)年 真鶴町立中川一政美術館蔵) なにか魅かれた。 ざくざくっと描かれた、なんでもない作品なのだが。 影がいいのかな。
萬鉄五郎《もたれて立つ人》第4回展(1917年 東京国立近代美術館蔵) もたれて、立ちあがろうとしているところなのか。
岸田劉生《初夏の小路》第4回展(1917年 下関市立美術館蔵) はっとさせる。劉生らしさはまだ。
岸田劉生《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》第4回展(1917年 大阪新美術館建設準備室蔵) セザンヌ似。だが林檎が青い。 妙に斜めに引き延ばされているのはなぜか。
岸田劉生《男の首(柏木氏の像)》第5回展(1918年 個人蔵) 黒目に穴。まぶたが突き出ている。唇が押さえつけられたように平ら。
萬鉄五郎《木の間から見下した町》第6回展(1918年 岩手県立美術館蔵) 技術で心象を描いたか。
K.ジェレニェウスキー《春》第18回展(1920年 東京藝術大学蔵) 構図がよい。思わず立ち止まって見入ってしまうのは、それだけではないからだろう。
林武《本を持てる婦人像》第9回展(1922年 個人蔵) 帯の質感。それから顔に目が行く。 二科賞受賞作。 解説によると、林武は本作の二科展出品を躊躇していたが、 この絵のモデルである奥さんが会場に搬入した、とのこと。 エピソードを知ってから見ると、また違う味。
佐伯祐三《リュ・ブランシオン》第13回展(1925年 個人蔵) 佐伯祐三《新聞屋》第15回展(1927年 個人蔵) 独特の空気、ちらっと見ても佐伯祐三だと分かるのはすごいことだ。 模倣中、模索中の感が強い作品群の中では、際立つ。
小島善太郎《読書》第13回展(1924-6年 八王子市夢美術館蔵) ほんのり明るく、色とりどり。 子供時代は貧しく不遇だったらしい。絵からはそれは感じられない。
津田青楓《研究室に於ける河上肇像》第13回展(1926年 京都国立近代美術館蔵) 顔のゴツゴツ感。セザンヌもびっくり。本の分厚さも。 河上肇氏は経済学者だそうな。
田崎廣助《森の道(夏小路)》第13回展(1926年 福岡市美術館蔵) 粗いが、よい。
長谷川利行《酒売場》第14回展(1927年 愛知県美術館蔵) 魅力を感じる絵。 樗牛賞受賞作だそうだが、樗牛賞と二科賞って、どう違うの?
吉井淳二《踏切りのある風景》第14回展(1927年 鹿児島市立美術館蔵) 白が基調の、清潔な柔らかさ。
里見勝蔵《女》第16回展(1928年 京都国立近代美術館蔵) 力強いヌード。へそ。
川口軌外《車のある風景》第16回展(1928年 和歌山県立近代美術館蔵) 《バナナのある静物》もよかったが、こちらの方が迫力があった。
阿部金剛《Rien No.1》第16回展(1928年 福岡県立美術館蔵) 意味ありげな物体が空に浮かぶ。 解説によると、 驚異は芸術の一つの手法だが、目的になってはいけない というようなことを語っていたとのこと。
探したら出典と思われるものがあったのでメモ。
伊藤廉《窓に倚る女》第17回展(1930年 東京藝術大学蔵) 縞の服も印象的だが、全体の空気がそれを上回る。 ひびが入って、壁画のよう。
鍋井克之《春の浜辺》第18回展(1931年 大阪市立美術館蔵) 手前の貝をアップで描く。 色づかいはおとなしいが、なぜかシュルレアリスム感。 マリー・トワイヤンの「早春」とモチーフが同じだからか。でもこちらは1945年の作。 自分が「早春」を先に見たことに影響されているのかな。 浜辺に貝、当たり前の組み合わせ、のはずなんだけど。
清水刀根《黒衣の女》第18回展(1931年 群馬県立近代美術館蔵) 女が魅力的で、ずっと見ていられる。 ポットを持った方の手に、少しだけ力が入っているのが感じられる。
坂本繁二郎《放牧三馬》第19回展(1932年 石橋財団石橋美術館蔵) 以前にも見ていると思うが、三馬に夢中だったのか、水平な四筋の雲に気づかなかった。 解説を読んで、改めて見ると面白い絵。
解説は面白味をなくす場合もある。善し悪しである。 ちなみに本展は作家数が多いこともあって、解説が多め。 全体を眺めてから、気に入った作品だけ解説を読んだ。
山口長男《卓上A》第20回展(1933年 鹿児島市立美術館蔵) 具象と抽象のはざま。伝わってくる何か。
伊藤久三郎《流れの部分》第20回展(1933年 京都市美術館蔵) 海、石膏像、天使? などなど、デ・キリコのモチーフと重なる。
伊藤久三郎《合歓の木》第26回展(1939年 京都市美術館蔵) 本展一番。 幻想的だが、感傷的でなく、強さ、清新さが迫ってくる。 左手前の緑の、厚塗りの油絵具が光っている。これはコピーでは出ないな。 6年のあいだに、シュルレアリスムを消化吸収して自分の物にした。 この人の絵はもっと見たい。
岡本太郎《重工業》第34回展(1949年 川崎市岡本太郎美術館蔵) 歯車と火花とネギ。さすが太郎。
高岡徳太郎《岩》第38回展(1953年堺市蔵) 海の上に、低くかかる雲。その上の空は、べったり青い。 青いだけの空は、わざわざ見上げる気がしない。 空の美しさは雲の演出による。 ただし、この絵の場合は、岩が引き立つのでよし。
堀内正和《線A》第39回展(1954年 兵庫県立美術館蔵) おっと思う。 大きな枠に落ちる、小さな枠の影。 彫刻界きっての理論家で、漂うユーモアで人気を博したそうな。 ちなみに、作品プレートでは《線A》、作品リストでは《線a》となっていた。
伊東静尾《土と共々》第52回展(1967年 石橋財団石橋美術館蔵) ちょっと魅かれた。
文化受容の過渡期にはよくあることだが、正直、模倣の域を出ていない作品が目についた。 ひと目で、誰の影響を受けているのか気づいてしまう。 マネ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ロートレック、マティス、ピカソ、ブラック、シャガール… ほか、名前が出て来ないが、どこかで見たような、と感じる作品多し。 スーティンぽいのもあったな。 もはやパロディかと思うような作品もあった。でも、たぶん大まじめ。
もちろん、模倣の後に独自の表現を確立した人も多いのでしょうが、 本展は、二科展の性質もあって初期作品が多く、一人一人の創作人生を最後まで追えない。
とはいえ、追っかけたいと思わせる作品も、確かにありました。
ところで 『二科100年展』といいながら、なぜ最近の作品がないのか? 『伝説の洋画家たち』のほうに重点が置かれたか。
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混雑状況報告。
空いているとは言えないが、さほど混んではいませんでした。 自分のペースで見て回れます。 各作品、数秒なら独占可能。
3周。 出口のところで入口に戻れます。
特別展のミュージアムショップは会場内にしかありませんが、 再入場は不可。
2015/08/22(土)訪問 |
東京展 会期|2015年7月18日(土)〜9月6日(日) 会場|東京都美術館
大阪展 会期:2015年9月12日(土)〜11月1日(日) 会場:大阪市立美術館
福岡展 会期:2015年11月7日(土)〜12月27日(日)
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9/12に上野再来
トビカン1階の庭で気付いた
「あの人っぽい…」
やっぱり。
ちなみに《三つの立方体A》は奥のほうにあるらしい。見損ねたー
次回。(後日見た、のだが…モネ展 および 屋外彫刻 の目撃談)
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