http://analyzer5.fc2.com/ana/icon.php?uid=940009&ref=&href=&wid=0&hei=0&col=0

 

所蔵作品展 MOMAT コレクション 特集: 誰がためにたたかう?

於・東京国立近代美術館

の目撃談 (201513)

 

 

  

東京国立近代美術館展覧会構成のページが分かりやすいので参考にしました。

 

41室のハイライトから。

岸田劉生《道路と土手と塀 (切通之写生) 1915

視界にちらっとでも入ると、瞳孔が開いてしまう絵。

 

オスカー・ココシュカ 《アルマ・マーラーの肖像 1912

足が止まった。これははじめて見たと思う。いいですね。

チューリヒ美術館展で見たものより好きだ。(チューリヒ美術館展 の目撃談

 

ジョアン・ミロ 《絵画詩 (おお!あの人やっちゃったのね)》 1925

まさに詩。

 

 

ここから

特集: 誰がためにたたかう?

 

42室『野生の証明』

竹内栖鳳 《草相撲》 1937

いい感じの下書き。

カエルたちは、鳥獣戯画のカエルたちだ。この影響のおおきさよ。

 

淀井敏夫 《聖マントヒヒ》 1966 ブロンズ

二科100年展にも出品されていた。(伝説の洋画家たち 二科100年展 の目撃談

同型の別品だとは思うが、再会の気分。

マントヒヒの彼は今のところ戦ってはいない。休憩中か。

 

たたかうのは本能か。生きるためなら人間も同じか。

 

43室『傷ついた聖像』

津田青楓《犠牲者》1933

二科100年展の石井鶴三 縊死者 1915年を思い出す。

津田青楓のほうが、重く下がる感じが出ている。

脚に巻き付けられた縄もつらいが、それ以上に、ちぎられたような全身の輪郭が痛い。

 

44室『破壊のあとさき』

パウル・クレー 《山への衝動》 1939

これもたたかい?

征服すべく山を登る人間と、動かない山との戦いか。

 

45室『眼の戦争』

どの絵も、つくりものっぽく感じる。変に明るい。

そのなかで印象に残ったのは

小川原脩 《成都爆撃》 1945

構図的な美しさのせいかな。美に救いを求めたか。

 

それぞれの絵を描いた時点での画家の思想がよくつかめない。

今、どう見ていいのか、見る側の気持ちが定まらない。

 

36室『ふたつの戦争画』

藤田嗣治《アッツ島玉砕》1943

著名な作品だが、なにか物足りない。

藤田向きの題材ではなかったか。2室の動物たちのほうが、力強く戦っている。

 

山下菊二 《あけぼの村物語》 1953

実際にあった事件を題材にした作品。地主と農民との戦いだそう。

正直、解説がよく理解できなかったのだが、誰も幸せにならなかったことは絵を見て分かった。

 

37室『炎の神話』

岡本太郎の部屋だな、と思って入ったら、ちょっと違った。

 

画像はぶれています…

間所紗織《神話より》1956

なにより線が魅力的。色彩も目を引くが、まず線。他2点も。

近寄ると、線は布ににじんでいる。相性のよい画材(染料、その他・布)を選んで描かれたか。

太郎と被る要素もなくはない。とがりの多用など。紗織のほうが鋭くて短くて多い。

ともかく、太郎と並べてインパクトの点で見劣りしないってすごいことだ。

 

岡本太郎 《コントルポアン》 1935/54

黒い背景に謎の物体二つが静かに浮かぶ。他2点に比べ、太郎らしさ控えめ。

戦いをはさんで描かれ仕上げられた作品。どういう事情か。

 

310室『その先の未来』

日本画家たちの模索。

 

画像はケースのガラスが反射してます…

吉岡堅二 《ブラカンマティ要塞の爆撃》 1944

以前見たときになにか感じた。(「『日本画』の前衛 1938-1949」展

はかなさのような。

吉岡堅二の作品は合計7点展示されていたのですが、

この絵に込められたエネルギーは、他の絵より少なめかも。

 

上空から見た構図は、小川原脩の《成都爆撃》と共通する。

視点を変えると見えるものが違ってくる、とか、視野が広がる、とか。

 

 

吉岡堅二 《柿》 1948

戦いが終わってから目に映る生命は、ひときわ美しく見える。ということか。

自由に画題が選べることも含め、解放された喜びを投影したのか。

まだまだ新しい世界を切り開く戦いの途中か。

少なくともこの絵は美しい。本展でいちばん印象に残った。秋だからか。

 

吉岡堅二 《楽苑》 1950

この絵は楽しい。

 

下村良之介 《飛翔への抵抗》 1963-64 板、紙粘土に彩色

なるほど飛べないだろうと感じる重さ。何kgくらいあるんだろう。

サイズや重さもさることながら、存在感のある作品。壁画のよう。

画材が独特なこともある。

 

打って変ってかろやか。

下村良之介 《騒》 1958 紙本墨画

こちらの製作のほうが先だが。

幾何学的。設計図のようでもある。でも動きがある。

騒がしい声は、そんなに聞こえて来ないが。

 

軽さも騒がしさもいやになって、飛翔に抵抗したか。

 

211室『農民は戦った!』

ケーテ・コルヴィッツ 《農民戦争》全7

名前を覚えていたので立ち止まった。(ピカソと20世紀美術 の目撃談

またつながった。

この《農民戦争》シリーズ中では、「囚われた人々」がずしっとしていた。絵の量感。

 

舟越保武 《原の城》 1971 ブロンズ

目と口は空洞。つくりの点でいえば、埴輪と同じ。

素材やテイストは違う。

なにより背景、バックボーンが違う。

背中に「いえす」「さんたまりあ」。

背負ったもののために戦った。

真横から横顔が見える。

ちなみに、埴輪の武人の横顔は、かぶとに隠れて見えないことがある。

 

 

 

 

 

「誰がためにたたかう?」

 

タイミングを図って打ちだした、足を運ばせる強いテーマ。

 

誰がために、誰とたたかうのか。

などなど、見終わってからも考えさせる。

 

ただ、「たたかい」の意味や範囲を広く取りすぎていて、やや散漫。

思い切って絞って、戦争、もしくは人間同士の争いだけでもよかったのでは。

 

  

 

混雑状況報告。

混んではいませんでした。

作品の独占鑑賞は可能。

撮影もタイミングを計れば可能。

 

ゆっくり一巡。

 

 2015/09/04(金)訪問 

  

夜間開館日でした

 

 このページの画像はすべて埴子が撮影したものです。

 

 

会場|東京国立近代美術館

会期|2015526日〜2015913

 

   

  

    

 

埴輪のとなりTOP

 

 

inserted by FC2 system