ジョルジュ・ルオー展 ―内なる光を求めて
於・出光美術館
の目撃談 (2015の20)
後期のみ。
展示室に入ってすぐの陶器2点がよい。 《三人のヌード》1907年 絵付けされたファイアンスの花瓶 《三人の裸婦》1908年 絵付けされたファイアンスの水差し ルオー独得の盛り上げた塗りはないが、その分、動きがある。 陶器そのものが、曲線的な形だということもありましょう。
《水浴の女四人(構成)》1920-29年 セザンヌの影響が見て取れる。 セザンヌがいかに偉大だったか。 さまざまな展示を見たり調べたりしていると、じわじわ分かってくる。 セザンヌは、芸術家を自由にした。
《シエールの思い出》1930年 山はめずらしい。空の鮮やかな青も。 とても目を引く一枚。
銅版画集『ミセレーレ』(全58作品。本展では36作品を前後期に分けて展示) 版面を薄く削り取るスクレイパーによって、白を際立たせているとのこと。 確かに、顔などの肌の陰影がはっきりしている。
タイトルとの相乗効果もあり、特に印象的だった2点。 《7 自分を王だと信じているが》1923年 《8 自分の顔をつくらぬ者があろうか?》1923年
連作油彩画《受難》1935年(全82作品。本展では出光美術館所蔵の64作品中38点を展示) アンドレ・シュアレスの宗教詩『受難』の挿絵としてつくった版画の油彩版。一年で描いたらしい。 枠の効果。枠のほうが面積が広いものも。 薄青緑の枠と、青緑の背景が、他の色を引き立てる。 青緑のおかげで、静けさや敬虔さが生まれている。 絵によっては、はっきりした明るい色を使っているが、軽くなりすぎないのも青緑のおかげか。
魅かれたもの。 《63 “聖心と三つの十字架”》 《19 “…二つの宮殿に沿うこの荒涼とした道”》 《31 “もう―私を―見る―のを―やめ―よ”》 《36 “彼をお前のためにも来たのだ…”》
《たそがれ あるいは イル・ド・フランス》1937年 本展一番。 中央奥の塔が、大きなろうそくみたい。 ところどころに、夕焼けの暖かい色。 ルオーはやっぱり、アップの人物画より、少し引いて、風景の中に人物がいる構図がよい。
《優しい女》1939年 人は、このくらいのほほ笑みを目指すのが正解なのでは。 「作り笑顔が笑顔をつくる」というのは、真実なのだろうが… いつも笑顔でいるのはなかなか大変。 そして、目を伏せている。まなざしはさまざまな誤解を生むからか。
《ピエロ》1953-56年 《ピエロ〈表〉》1950年頃 油彩・素焼きの大皿 《ピエロ〈表〉》1956年頃 油彩・素焼きの大皿
後期の作品は色彩豊かになって明るくなっているが、この三点は特に、黄緑が強い。 強い光を感じていたのか。
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紙に油彩、というのが多かった。 キャンバス嫌いだったのかしら。
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ジョルジュ・ルオー(1871−1958)、正直それほどはまっていないのに、見てしまう。
宗教色が強いと、どこか遠く感じたり、警戒・敬遠してしまったりするのだが、 ルオーの絵はなぜか安心感がある。気負わず見ることができる。
ルオーは筋肉をしっかり描く。 そのせいか、ルオーのキリストは、地面を踏みしめて歩いている感じがする。
武者小路実篤がルオーに会いに行ったとき、自分の絵を見て笑っていたそうだ。 そういった、描き手自身の持つ客観性も、観客に与える安心感の理由でしょう。
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開催希望。 『大ミセレーレ展』 『大受難展』 『大ユビュ親父の再生展』
それぞれに絞って、集められるだけ集めて、広い会場で展示したら… 想像するだけで震える。
観客が押し寄せそう。
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混雑状況報告。
わりと空いていました。がらがらではない。 絵の独占可能。 1往復半。
2015/11/24(火)訪問 |
ジョルジュ・ルオー展 ―内なる光を求めて 会場|出光美術館 会期|2015年10月24日(土)〜12月20日(日)
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