旅と芸術 ―発見・驚異・夢想
於・埼玉県立近代美術館
の目撃談 (2016の01)
いい作品いっぱい。
第1部:旅への誘い
ターナー、版画の中が嵐。画面の外にまで強風が吹き出してきそう。 ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ドーヴァー海峡》1827年 ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ネッカー川対岸から見たハイデルベルク》 1846年
第2部:オリエントの魅惑
アドルフ・モンティセリ《モスクの前のアラブ人》 横顔だったり、うつむいていたり、手前の人の影になっていたりで、顔がはっきり見えない。 全体に暗い。中央奥、のぞき込む。が、やはり見えない。 ピンクがかった白が、ターバンや衣服などに乗せるように塗られている。 この絵はとてもひかれた。
赤と青のドラクロワ。深い色のコントラスト。 柔らかくて繊細。 何点かありました。一枚選ぶならこれ。 ウジェーヌ・ドラクロワ《手綱を持つチェルケス人》 白馬とチェルケス人が中央に描かれている。 何でもない構図だけど、鞍の赤と青とか、両端の奥にいる人たちとか、ちょっと引き込まれる。
第3部:自然・観光・鉄道
レオン・リシェ《沼地の風景》 沼に生えている木は乾いている。 枯れかけているのか。沼のエネルギーを吸って生き延びようとしているのか。 少し怖いような生命の力。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 《サン=ニコラ=レ=ザラスの川辺》 1872年 油彩 空にぼやけていく木の葉。横山大観の朦朧体のよう。
どの絵の奥にもなにかがある、クールベ。2点。 ギュスターヴ・クールベ《エトルタ海岸、夕日》1869年 モネ展で見たドラクロワの水彩画《エトルタの断崖、馬の脚》 (1838年)を思い出した。 同じ断崖を描いている。クールベのほうは油彩。 当然ながらドラクロワともモネとも違う。 クールベは、色がどうのというより、力強さ。迫力。堂々の実力派。 夕焼け色の雲が盛り上がっている。密度が高そう。 もうひとつの《波》もよかったが、この夕日のほうが魅力的。立ち止まってじっくり見てしまう。
モーリス・ドニ《トレストニュエルの岩場》1920年 画面左の水の表現が二通り。 点で表されたしぶき、うねりを重ねた波。どちらもちゃんと水。
アルベール・マルケ《停泊船、曇り空》1922-23年頃 全体にくすんだトーン。それなのに瞳孔を開かせる。 モランディを連想する。
第4部:世紀末のエグゾティスム
オディロン・ルドン《デ・ゼッサント》1888年 小さな版画でも、脳裏に焼き付いてしまう。顔だからか。
ポール・ゴーギャン『10の木版画集』1921年刷り《マルル(感謝)》 座っている女性は仮面をかぶっているのだろうか?
第5部:空想の旅・超現実の旅
シャガール2点、どちらもよかった。 マルク・シャガール 《世界の外のどこへでも》 1915-19年 シュルレアリスム的で、意外だった。シャガールっぽくなる前、という印象。 でもいい。この時期の作品をもっと見たい。 マルク・シャガール 《二つの花束》 1925年 花より右の花瓶がいいなあ、と思って眺めていたら、その下に顔が。 頭の上に花瓶を乗せているのか。
マッタ2点。 ロベルト・マッタ版画集『ホメロス四世〈支点〉』1983年刊 より 《支点の支点》 《入口は出口にあり》 かつて見た作品と近い印象。(シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―) 水没した建物、それに光を当てて俯瞰している。透明感と広がり。 観察するような冷静さもある。 この版画集、ぜんぶ見たい。 いい作品なのに、いやに高いところに展示。あんまりだ。
トワイヤン画、ラドヴァン・イヴシッチ詩 版画集『射撃場:12のデッサン1939-1940』1973年刊 より 本展では4点。この射撃場シリーズもぜんぶ見たい。詩も読んでみたい。
我が道を行くのに迷いがないデルヴォー。 ポール・デルヴォー《森》 1948年 森の奥から線路。夜の緑は深い。 ポール・デルヴォー《駅》 1971年 駅で立ち尽くす少女。どこへ向かうのか、いま運命のとき。
自分の脳内の世界を描き出すことにしか関心がないかのよう。 その信念、集中力が、見る者をも引き込むのか。
第6部:旅行者の見た日本の自然
葛飾北斎『富嶽百景』初編より 1834年 葛飾北斎『富嶽百景』ニ編より 1835年 半紙本サイズでも見入ってしまう。 富士は何処から見ても絵になる、ということか。
でも北斎以外の富士は、くるものがなかった。
この第6部は、独立させて、もっと練って、別の企画展をやればいいのに。
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旅は船。 絵の中の船は、そのまま旅の要素だ。 船を見ると、ここからは離れ、ここではない所に着く、というイメージが喚起される。
車・汽車・電車や飛行機・飛行船はすこしちがう。 仕事・生活・単なる移動、あるいはとんで冒険。 旅の範疇からは、ずれてくる。
重要なのは海なのかな。
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旅というテーマだが、まとまりがない。 旅というより、移住だったり、想像の異国だったり。 もう少し、スタンスをはっきりさせて、絞ってほしかった。
狭い。 展示空間に対して、展示作品が多すぎる。 特に、小さめの作品。版画、写真、絵はがき。 箱と中身のバランス。削るなら写真と絵はがきかな。
そのせいもあって、ルートが分かりづらかった。
カバーの反射が気になった。よくあることだが、本展は数が多いだけに疲れる。
監視員も近すぎる、多すぎると感じた。 戻って見るのに気が引けた。
上下に配置するのはできるだけ避けてほしい。見づらい。 展示位置ではマッタが一番かわいそうだった。これが最大の不満。
途中、映像作品の音声が聞こえてきて、おののいた。 そう大きな音ではないので、反応は人によるでしょうが、あの音声ってなくちゃならないかなあ。
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常設。
野見山暁治《冷たい夏》1991年 再会のよろこびもある。(野見山暁治 展) だがそれよりも、おおっと思わせるエネルギー。 夏の雨にあらわれる階段。
彫刻作品多数。 エミール・アントワーヌ・ブールデル《チリーの女》 1921年 作品が置いてあるとは思わず歩いているときに目に入った。 ブロンズによる髪の広がり。
シャルル・デスピオ《ビアンキーニ嬢》 1929年 こちらは髪をまとめているが、こちらも目を引く。 名前に覚えがあると思ったら、前にも見ていた。魅かれていた。(ザ・コレクション・ヴィンタートゥール)
重村三雄《階段》 1989年 結び目を持つ傘、を手にした人物。リアリティの中のねじれ。
野見山暁治と重村三雄で、階段つながり。
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常設の彫刻、配置が散らかっているのは、仕方ないか。 彫刻は空間が必要。特にオーラを放つものは。
しかし、屋外の展示、ロッカーに入れたコートを取りに戻ろうにも再入場不可。 寒い季節には不親切よ。
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混雑状況報告。 空いていました。 時間と体力に余裕があれば、小さな作品もじっくり見られます。 あとは身長か。
企画展は1往復半。常設はさっと一回。
2016/01/07(木)訪問 |
旅と芸術 ―発見・驚異・夢想 会場|埼玉県立近代美術館 会期|2015年11月14日(土)〜2016年1月31日(日)
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