特別展 生誕150 黒田清輝 ―日本近代絵画の巨匠

於・東京国立博物館 平成館

の目撃談 (201606)

 

 

ハナミズキの向こう

 

 

KURODAが待っている

  

「さあ来い」と

 

いや「おいでなさい」あたりかな

 

ともかく

行くとも

 

  

 

 

黒田の手紙の言葉が壁面に。

グレーはどの季節が好いかと聞かれても困る、いつも好いところなので

グレーの風景がどのように好いのか。

黒田は、色彩のコントラストを具体的に描写している。言葉も鮮やか。

 

《楊樹》(1889年)

グレーの原》(1890年頃)

《枯れ野原(グレー)》(1891年)

 

グレー以外もよい。

パリー風景》(1890年)

光と影の具合がちょうどよい。

 

ブレハの海岸》(1892年)

 

七面鳥》(189192年)

この作品だけタッチが違う。

動物単体も珍しい。

 

横浜本牧の景》(1894年)

小さいキャンバスだが大きく感じた。雲が飛び出してくる。

 

《波打ち際の岩》(1896年)

《大磯》(1897年)

 

《久米桂一郎肖像》(1897年)

書き込んである文字が、ざくざくっとしたアルファベットで、赤と青。

この作品、何かに似ている、と思ったら、この展覧会のポスター・パンフのデザインだ。

本展の文字はピンクと青紫。この絵をイメージして作ったのか。

ピンクが平成館前のハナミズキとよく似た色なのは、開催時期に咲くことを読んでの計算?

 

書見》(1898年)

モデルは誰だろう。

かけた眼鏡に光が反射して、目が見えない。ちょっとコミカル。

 

《木かげ》(1898年)

帽子は黄色、木の間から差す陽が照らす草原も黄色、着物の模様は青、地の色も薄青い。

効果を計算しつつ、無理を感じさせない。

ここで日本の油絵の人物画の、一つの完成を見たのでは。

 

 

《瓶花》(1912年)

《菊》(1912年)

菊なのに、華やか。法事っぽくない。

これこそが留学の成果なのでは。

 

 

《雲》(191421年)

一つの額縁に、それぞれ異なる雲6点を横一列に収めた作品。

どの雲もいい。そういえば《横浜本牧の景》も雲が良かった。黒田は雲の人だ。

この6連作だけ見たら、デザイン的すぎるとか奇をてらっているとか感じたかもしれないが、

本展のように、一人の画家の画稿や写生も含む作品群の中にあると、そうは感じない。

むしろ一番計算のない、素直な黒田作品という気がする。

計算しないことがいいこととは限らないが。

本展一番。

 

《山つつじ》(1921年)

《つつじ》(1921年)

そうでした。

以前は黒田にさほどの興味がなかったけれど、

昨年見た黒田のつつじ(参考:近代日本の洋画展 の目撃談)がよくて、

この展覧会は見ておこうと思ったのだった。

本展のつつじもよかった。

 

 

昔語り」画稿(仲居半身像)》(1896年)

顔が印象的。

焼失した「昔語り」完成作の写真がありましたが、その仲居よりこっちがいい。

この一枚だけでも、背景にドラマを感じさせる。

 

《「昔語り」画稿(男の脚)(1896年)

ふくらはぎの筋肉。

 

《「昔語り」画稿(男裸体半身像)》(1896年)

ヒョウタン担いだ背中。

裸で練習してから、服を着せて描いたらしい。

 

下絵は裸で本画は着衣、といえば

《冬(パリ市庁舎控えの間のための壁画下絵) ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 1891年)

これも壁画の写真を見ると同じやり方のようだ。

 

《「昔語り」画稿(舞妓半身像)》(1896年)

着物のひだ。

 

 

《智・感・情》(1899年)

背景と切り離された体。

赤い輪郭線と、その陰に少し入れた金。金が赤を引き立てる。

しかしやはりタイトルとポーズの意味のほうを考えてしまう。

絵を見ていても、体より顔の表情が気になる。

 

ホドラー展で、《智・感・情》を連想した。そのときはまだ写真しか見たことがなかったが。

ホドラーは、体、というか、動き、という印象だった。(参考:フェルディナント・ホドラー展 の目撃談

 

 

焼失、という作品が目に付く。

朝妝、昔語り、其日のはて、東京駅帝室用玄関壁画、など。

 

完成作が戦火に焼かれても、下絵やデッサンが、数多く残っている。

作品をつくり上げるためには、時間をかけて構想し準備する。

当たり前のことだが、目の前に途中経過がずらりと並んでいると、よく飲み込める。

 

そして準備段階でも、一つの作品として見られるレベルのものがたくさんあるのがわかる。

 

 

 

黒田は画面ぎりぎりまで中心モチーフを描く人だったらしい。

人物デッサンは頭と足の先が額の中に入ってしまっている。

幾つかの作品が、額切れしてしまっていた。

 

 

黒田以外。

 

黒田の師匠、コラン。

《ブロンドー夫人の肖像》ラファエル・コラン 1891年)

ウエストのくびれを強調した体形は、西洋における理想か。

それより顔に引き付けられる。写実的で、写真のようなリアルさを感じた。

 

他のコラン作品は、それほどいいと思わなかった。

当時は思い切った表現だったのだろう。今見ると、好みで評価が割れそう。

 

 

《羊飼いの少女》ジャン=フランソワ・ミレー(1863年頃)

雲の向こうの光がまぶしい。

地平線の上の光は淡い。

これは力ある作品だ。

チラシにも載っているが、コピーは弱い。

本物が見られてよかった。

 

《モレのポプラ並木》アルフレッド・シスレー( 1888年)

光を描かせるなら、やはりシスレー。

いつもながら構図が教科書的で、印象は弱いが。

 

グレーの秋》浅井忠(1901年)

外れなしの浅井忠。本展のグレー・シュル・ロワン村の絵はこれが一番。黒田には悪いが。

 

裸婦》久米桂一郎(1890年)

かおつき、目つき。少し怖い。

 

》藤島武二(1916年)

二重の虹。山と空と雲。2つのヨットが浮かんでいるのは、湖かな。

上品かつ独特な色使い。エメラルドグリーンにピンク。

講談社野間記念館で見た《水浴》、ブリヂストン美術館で見た《屋島よりの遠望》《匂い》と共通。

この静は大型なうえ個性が強すぎて、黒田展では浮いてしまっている。でも好きだ。

 

 

 

 

会場壁面の黒田の言葉、うろ覚えながら、印象に残ったものをメモ。

 

今後の日本の油彩画について。

日本独自のものが、自然に生まれるだろう

日本の絵画の未来に不安は感じていなかったらしい。

 

今後の自分について。50歳くらいのときの話。

 80まで生きられれば、いいものが描けるようになるだろう

だが58歳で他界。80の黒田の絵が見たかった。

 

  

 

混雑状況報告。

 

チケット購入は、ほぼ並ばずに済みました。

入館も行列なし。

 

会場内は、結構混んでいました。

写生帖など、小さい作品は並んだり後ろからのぞいたりする必要がありました。

大きめの作品は、短時間なら独占可能。

《智・感・情》は、無理でした。

 

3周。

 

2016/04/19(火)10301200訪問 

   

 

折しも

つつじの季節

向こうに見えるは東洋館

 

本館前

 

KURODAとつつじ

 

表慶館前

 

つつじとライオン

 

 

特別展 生誕150 黒田清輝 ―日本近代絵画の巨匠

会場|東京国立博物館平成館

会期|2016323() 2016515()

 

     

    

 

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ジョルジョ・モランディ ―終わりなき変奏(東京ステーションギャラリー) の目撃談

 

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