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ゴッホとゴーギャン展

於・東京都美術館

東京国立博物館(平成館)

の目撃談 (201623)

 

  

テーマやモチーフが共通するゴッホとゴーギャンの作品を集めてある。

 

ゴッホが描いたゴーギャンの椅子と、ゴーギャンが描いたゴッホの椅子。

それぞれの自画像。

それぞれの《収穫》。

 

対比させることによって、浮かび上がる画家二人それぞれの特徴と、二人の関係。

 

 

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853330 - 1890729日)。

 

《靴》1886

まだべたっとした塗り方だけど、なぜかよい。

 

《ボートの浮かぶセーヌ川》1887

 

《グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝》18883月、アルル

 

《ゴーギャンの椅子》188811月、アルル

本展のポスターなどでメインになっている絵。

2010年の没後120 ゴッホ展で見た。

再会である。

背景の緑がきれい。

炎の黄色がきれい。

椅子、木枠の赤茶色がきれい。

座面の線の黄色もきれい。

 

画面いっぱいの、生きているような椅子。

描いた人にエネルギーがあふれていたのがわかる。

描いた人の、坐っていた人に対する敬意も感じられる。

 

今回は、特に椅子の影の青にひかれた。

 

しかし本展のピカソ作品は、人物画が光って見えた。

「人物を描きたい」との思いが強かった時期の作品群だからか。

 

《ズアーヴ兵》1888

《恋する人(ミリエ少尉の肖像》1888

《カミーユ・ルーランの肖像》1888

《男の肖像》1888

 

特に《男の肖像》はよかった。これも実は再会作品のはず。だが、前回はぴんと来なかった。

見上げるような構図。

背景の黄緑が、髪の輪郭を越えて塗られている。角ばる頭。

よかった。

 

《タマネギの皿のある静物》18891月初め、アルル

この作品とも、再会。

やはりぎゅうぎゅうすぎると感じる。

だが画面は明るい。

よく考えたら

これだけ色んなものが詰め込まれた画面でも、それなりの調和があるのはすごい。

 

《刈り入れをする人のいる麦畑》18899月、サン=レミ

麦の一生、人の一生。

あくまでも明るい画面。

空は黄緑。刈り入れ人も。

 

 

 

 

ポール・ゴーギャン(184867 - 190358日)。

 

《自画像》1885

自画像は、一枚しか展示されていなかったゴーギャンの作品のほうが、印象強かった。

 

左がゴーギャンの自画像

 

《マルティニク島の風景》18876-11

島を理想化して描くゴーギャン。

 

《ブドウの収穫、人間の悲惨》188811

ブドウの赤紫が印象的。それ以上に手前の女性が強く迫ってくる。

目に入ると、しばらく目を離せなくなる一作。

 

《アルルの洗濯女》188811

流れうねりにじむ境界線。不思議な色使い。オレンジが光る。

 

このうねり感は、モーリス・ドニとかヤン・トーロップを思い出させる。

 

《川辺の女》1892

うねる。

 

《タヒチの3人》1899

本展のゴーギャンの一番。

 

他の作品と違い、顔がくっきり描かれている。その顔が良い。

左の女性のほうがいい。まなざしも、オレンジ色の服も。

 

うねる輪郭線の背景。

 

解説によれば、

青いリンゴを持つ左の女性は「悪」の象徴

花を持つ右の女性は「善」の象徴

と推察されている、のだそうな。

 

えてして悪は魅力的、ということか。

悪の誘惑はあまりに強力、ということか?

 

小説『雨』が頭に浮かんだ。

誰の作品だっけ、モームだ、そうそうサマセット・モームだ。

思い出したら、ついでにいろいろ脳みそから出てきた。

そういえば『月と六ペンス』の主人公はゴーギャンがモデルだときいた。

モームはこの絵を見たかしら。

 

この絵に説教臭さはなく、ただ引き付けられる。

 

西洋に生まれ、仲間と試行錯誤し、理想を求めひとりタヒチに移住したゴーギャン。

ゴーギャンにしか見えない世界、ゴーギャンにしか描けない世界。

描かれた作品群をほぼ年代順に見た後だからか、この絵には動かされる。

  

《肘掛け椅子のひまわり》1901

ゴーギャンの描くひまわりは、ゴッホよりも濃い黄色。

ひまわりの後ろの、何だかわからないが、オレンジ色。ゴーギャンの色。

ところで、このひまわりたちが活けられている緑色の入れ物は何? 大きな花瓶?

窓の外は、どうやら海。

 

追記。

右上にあるのは、窓ではなくて、絵かもしれません。

 

ゴーギャン。この絵はわからないことが多すぎるわ。

 

《肘掛け椅子のひまわり》には、右上の絵か窓が女性の別バージョンが存在するもよう。

 

 

下段の4枚が本展のポスター

黄色がゴッホ オレンジ色がゴーギャン

下段左から二枚目《肘掛け椅子のひまわり》 右端 《タヒチの3人》

 

 

この絵を描くために、ヨーロッパからひまわりの種を取り寄せたそうだ。

 

タヒチにはひまわりがなかった

でも

種を植えたら育った

 

ということになる。

 

 

 

 

二人の共通の友人、エミール・ベルナール(1868428 - 1941416日)。

会場の壁に二人の文章。そのなかに、ベルナール宛の手紙から引いた文章がいくつか。

 

ベルナールの作品は1点。

《ティーポット、カップ、果物のある静物》1890

正直、印象に残らなかった。

 

ベルナールなら、以前見た《ポン=タヴェンの市場》がよかったな。

ポン=タヴェン。アルルを出たゴーギャンが暮らしたブルターニュの地。

 

 

 

他、よかったもの。

 

テオドール・ルソー《カルフール・ド・レパンの曲がった樹》1852

 

カミーユ・ピサロ《ヴェルサイユへの道、ロカンクール》1871

 

クロード・モネ《ヴェトゥイユ、サン=マルタン島からの眺め》1880

 

アドルフ=ジョゼフ=トマ・モンティセリ 《井戸端の女》1870-71

 

 

セザンヌの《収穫》はリストにはあるが、出品中止とのこと。

残念…

三人の《収穫》を並べて見たかったな。

 

 

共同制作をしていた画家のコンビ、というのは珍しくないようだ。

ピカソとブラック。

ヴラマンクとドラン。

出会っただけでは終わらなかった関係。

 

一緒に暮らしていたかどうかは、ちょっとわからないが。

どちらにせよ、長く続けるものではないのでしょう。

いずれ独自の道を切り開く、そのときは一人。

 

とはいえ、二ヵ月で破綻は短いな。

議論しすぎて、ショートしたか。

 

でも

創作合宿だと考えれば、二ヵ月は十分な期間かも。

 

十分に意味のある二ヵ月だったことは、その後の二人の作品を見れば確かだ。

 

  

色とりどりの背中を見せて並ぶのは  トビカンの椅子

上の窓には青空が映って

マグリットの絵のよう

 

 

混雑状況報告。

混んでいました。

と言っても、ひどくはない。

チケット購入は、二人ずつくらいの列。

会場内は、列になっているわけではなく、自由に見て回れました。

作品によっては独占可。

大型の人気作品は、少し待たないと一番前で見るのが難しい。

エスカレーターは、ちょっと並んでから乗るときもあれば、 誰も乗っていないときもありました。

 

ミュージアムショップは会場内。再入場不可。

レジは行列。でも昨年のモネ展ほどではなかった。

 

 

 2016/10/27(木)訪問 

   

 

ゴッホとゴーギャン展

会場|東京都美術館

会期|2016108日(土)〜1218日(日)

 

     

おまけ

 

東京国立博物館(平成館)

 

椅子でつなげてみる。

 

埴輪の椅子たち。 

 

椅子形埴輪

 

背もたれに見えるのはついたてだそうな

 

椅子

坐る女子。

 

もうひとり

椅子

坐る男子、琴を弾く。

 

椅子ではないけれど

坐るところ。

 

鞍でした。

 

もひとつ

誰も坐ってないけれど

坐れる鞍。

 

 

 

またね。

 

 

 

 

   

 

    

 

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