粟津則雄コレクション展 “思考する眼”の向こうに
於・練馬区立美術館
の目撃談 (2017の02)
緑のくまさんがお出迎え
オディロン・ルドン《キリスト》 1887年 これが最初に展示されている。 印象が強い。 目玉。メルヘン感。しかし軽くはない。
アントニー・クラーヴェ《型付板》 1969年 何となくひかれる。
マルク・シャガール《出エジプト記 燭台の前のアロン》1966年 わずかな青と黄色に目が行く。 出エジプト記、燭台、というモチーフ。 暗示されるものを、私はぼんやりとしか感じ取れない。
アントニ・タピエス《1 2 3》1975年 1 2 3とA B、あとは×と〇だったかな。とにかく記号。
ピエール・アレシンスキー《Direct Line(Ligne Directe)》1976年 アレシンスキー再び。 一つだけ赤い、現れた何か。 太陽? 雲、雨の向こうから。 それとも目玉? 藪の中から。 下のコマには飛行機。海の上。 波。その中に、人の顔?
西脇順三郎《裸婦》1970年代 水彩作品。繊細な淡さ。 この人は詩のほうがいいな。黄色いすみれ。紫の宝石。
野見山暁治《ニューヨークの裏窓》1984年 なんだかよかった。もう一つの作品のほうが、野見山暁治っぽかったのだが。 今回は、こっちがいい。
深沢幸雄《四角な詩人》2000年代 金属の板でできた顔、という印象。 形にならないものを、硬いもので表現している感じ。 銅版画をメインとしていた画家だそう。なるほど。 これはガラス絵、だそうな。 もっと近くで見てみたかったが、平らな展示台の奥に展示されていて、近づけなかった。残念。
氏の名前で検索してみたら、2017年1月2日に亡くなったとのこと。 なんと。ついこの間ではないですか。 ご冥福をお祈りいたします。
少し遠い作品。 すれ違った作者は遠ざかる。
麻田浩《土のはなし/夜》1931-97年 ぬめっとした感じ。 やや怖いがきれい。
麻田浩《蝶の地(夜)》1931-97年 蝶、波打ち際、夜。 モチーフがマリー・トワイヤンの《早春》と被っている。寒い感じも似ている。 シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―
そして 埴輪がいました! 鶏形埴輪です。上半身のみ。出土地不明。 赤味強し。鉄分多めなのでしょう。質感も金属的。 首から上は中空ではないようだが、目をのぞきこんだらもう一つの目から奥の壁が見えた。 顔を左右から手で挟んで押しつぶしたような、厚みのない頭部。 片側から孔を開けて、両目としたらしい。 なるほど。そういうやり方もあるか。 ギザギザの鶏冠(とさか)は、見ようによっては鋸歯紋だ。 野毛大塚古墳展で見た円筒埴輪(柵形埴輪)とつながる。
あごの下の肉髯(にくぜん)は、ややとんがっている。 くちばしと同じような形をしている。 実際の鶏の肉髯は丸く垂れていると思うが。 くちばしが二つあるみたい。
左側のくちばしの上には、つついたような小さな穴がありました。たぶん鼻の穴。 と思ったが、右側は穴が確認できなかった。 左を観客に向けて展示されていて、右側は見づらかった。
埴輪の隣にあったせいか、ひかれた作品。 駒井哲郎《鳥と卵》1960年 丸と、とんがり。
駒井哲郎《内部(室内)》1969年 ドアから漏れる光。
中林忠良《転位‘89-地U》1989年 葉っぱ。
久保卓治《Passing Time, Chicago Public Library》2005年 階段、踊り場。差し込む光。 無機的な建造物だが、冷たすぎない。 もう一つの街の絵よりこっちがよかった。
ジョルジュ・ルオーのミゼレーレシリーズ、4点。 背景に信仰がある。 信じる道を行く強さ。
|
図録。展示室で見せていただきました。
埴輪も載ってました。小さい写真ですが。
展示されていない作品が結構ありました。 見たかったなー、と思う作品いくつか。 もう少し広い展示室で、全部展示してほしい。
|
混雑状況報告。
展示室を独占の時もあれば、数人いるときもありました。
30-40分くらいいたでしょうか。
2017/01/24(火)訪問 |
◎粟津則雄コレクション展 “思考する眼”の向こうに 於・練馬区立美術館 会期:2016/11/19 (土) 〜 2017/2/12 (日) |
森を襲う寒波
くまさんのよだれも凍る
|