国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業 ミュシャ展
於・国立新美術館
の目撃談 (2017の11)
アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)。
スラヴ叙事詩、全20点。
《3 スラヴ式典礼の導入 汝の母国語で主をたたえよ》1912年 民族の誇りは言葉で保たれる。ということか。アイデンティティ。 手前に浮かぶ、スラヴ式典礼の導入に尽力した象徴的人物たち。 特に、団結の象徴の輪を持つ青年の力強さ。 背後の、光あふれる画期的な瞬間の画面は、画布より一回り小さい。 その画面を、浮かぶ人びとは、ところどころはみ出している。 この辺のデザイン性にもミュシャを感じる。
スラヴ叙事詩の中では、この作品に一番先に目を引かれ、この作品が一番印象に残った。 言語、母国語、というキーワードも、響いて残った。
《4 ブルガリア皇帝シメオン1世 スラヴ文学の明けの明星》1923年 巻物と、本と、紙を紐で縛った束とが、共存している。 その国の言葉が、その国の文学をつくる。
動物は、やはり馬。 《2 ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭 神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある》1912年 馬。飾られた馬。
《6 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン スラヴ法典》1923年 目出しコートを着せられた馬。
《14 ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛 キリスト教世界の盾》1914年 画面手前に立ち上る黒煙。その輪郭から水平のトゲトゲが出ている。 黒煙の印象が強すぎて、ほかを覚えていない。
《15 イヴァンチツェの兄弟団学校 クラリツェ聖書の印刷》1914年
聖書を盲人の老父に読み聞かせる少年 のモデルは 若き日のミュシャだそうだ
《16 ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々 希望の明減》1918年 向こう岸や船の灯。
《18 スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い スラヴ民族復興》1926年 これだけ未完成。 なぜ完成させなかったのか?
左手前のこの女性はミュシャの娘がモデルだそうだ
右手前 おや
こんなところに鶏が
ポスターの《「スラヴ叙事詩」展》(1928年)は彼女の部分のクローズアップ。 ちょっと違うデザイン。 ポスターのほうに鶏はいない。
《19 ロシアの農奴制廃止 自由な労働は国家の礎》1914年 寒い。 犬
《20 スラヴ民族の賛歌 スラヴ民族は人類のために》1926年
輪
輪と リボン
ほか、虹も描き込まれている。 やや詰め込み過ぎで、むしろ広がりを失い、テーマからずれてしまっているようだ。
ミュシャのスラヴ叙事詩は 輪。リボン。浮く人々。静止。顔は正面。 正直、なにかしっくりこないのは、ミュシャの解釈や感情がたっぷり入り込んでいるせいか。 客観的に叙事詩を描くことに徹したら、むしろもっと深さや広さのある作品になったかも。
作品を見ていて、いろんな人や作品を連想した。
まず、ホドラーを思い出した。 たぶん、大画面に人間の肉体を象徴的に描いているから。 それだけでなく、室内装飾、切手、紙幣。自国への思い。こだわり。関わり。 といったあたりが、似ている。 ホドラーは、花はミュシャみたいにうまくないが。 山はホドラーのほうがいい。人体の力強さや動きも。
光の描き方はレンブラントを思い出した。似てるというわけではないけれど。 ミュシャは色彩が淡すぎて、影が弱いように思う。 影あってこその光。ということをレンブラントのほうが把握していた。
戦争画は、藤田嗣治を思い出した。暴力の恐ろしさより犠牲者の痛々しさ。 フジタはついに日本に帰らなかったけど。
前面に浮かぶ人を見ていて思い出したのは、 先日みたナビ派展のベルナール《ブルターニュの女性たち》(1888年)。 輪郭と、その内側。境界。異なる世界の重なり。時空。
スラヴ叙事詩以外。アール・ヌーヴォーの頃にさかのぼる。
《蛇のブレスレットと指輪》1899年 金、エナメル、オパール、ダイヤモンド これはもともと、サラ・ベルナールをモデルに《メディア》(1898年)で描き、 ミュシャが改めてデザインしたらしい。 アフガニスタン展を思い出した。
《ラ・ナチュール》1899-1900年 ブロンズ、アメジスト ブロンズで表現された髪も装飾的。
《黄道十二宮》1896年 リトグラフ 横顔作品の中ではベスト。
《クォ・ヴァディス》1904年 油彩 ミュシャの本領発揮は正面顔かと思うが、これは違う角度でのベスト。
《ハーモニー》1908年 油彩 背後に立つ人物の、広げた両手の掌が生む輪。 藤島武二の《静》を思い出した。 色使いか。横長の画面のせいか。 女性像がいい、という点の方が共通点として強いか。 とはいえタッチや女性の雰囲気などは似てはいない。 女性像を見ていて思い出すのは、むしろ、昨年亡くなった吉野朔美。
《創造力―ベルンシュテイナのヤン》1911年 油彩 この作品の背後の人物も同じポーズ。この人物の顔がよい。 枠や模様の一部に使われている銀色、盛り上がっている。 これも油絵具なのかな。
プラハ市民会館「市長の間」の装飾画シリーズのひとつ。本展の展示作品は下絵でしょう。
《ヒヤシンス姫》1911年 女性像では一番好きだな。ミュシャ得意の正面顔。 妻がモデルだそうだ。同じ年に制作した《第6回全国ソコル祭》も。
《『主の祈り』》1899年 フォトグラビア 目玉の化け物。ゴヤを思い出した。
アール・ヌーヴォーのころは、わりと正面顔は少ない。 横顔が目立つ。見返り美人や反り返り美人も。
全体に、アーチを多用していて、ヨーロッパだなあと思う。 スラヴ叙事詩を前に、ひとくくりにするのはどうかとも思う。 が、ともかく日本のものではないと感じる。
アーチのほかは円。 団結の象徴の輪とは別に、デザインとして円を多く使うところがミュシャの特徴かも。 すこし褪せたような抑えめの色も。この色遣いだから、光と影は難しいのか。
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映像コーナーあり。13分。
スラヴ叙事詩は、発表当初、国内ではあまり評価されなかったそうだ。 時代錯誤だ、とか。 そうね。1928年だとシュルレアリスムが盛りあがってた時代か。 的外れな説教と受けとめられたか。 輪は鎖にも通じる。
2012年になってようやく、プラハのヴェレトゥルジュニー宮殿に戻され展示されたそうだ。 描き始めてから100年。
誰しも自分のルーツを確かめたくなる時がある。 つくった意義はあったと思う。これからか。 こういった作品を持つ国と、持たない国とでは、違いが出るかもしれない。
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展示タイトル「ミュシャ展」。 シンプルで、これでもいいとは思うけれど。 言語、母国語は作品のテーマの一つ。 Muchaはミュシャかムハか。悩むところ。
スラヴ叙事詩を展示するなら、フランス語ではなくチェコ語発音の「ムハ」か?
でもムハと言われても誰だかわからない。 個人的には、いわゆるアール・ヌーヴォーの作品の方がいいと思った。 パリでは「ミュシャ」と呼ばれていただろう。
それでも、もう少し、スラヴ叙事詩を描いた想いを汲めないものか? アール・ヌーヴォーのミュシャと、スラヴ叙事詩のムハ、ということで 「ミュシャとムハ展」 「ミュシャ&ムハ展」 「ミュシャそしてムハ展」 「ミュシャあるいはムハ展」 「ミュシャのスラヴ叙事詩展」 …などなど。
正解見えず。
ところで、アルファべットのほうは? グラゴール文字もしくはキリル文字で、とか。 でも言葉は音から始まる。文字はあと。Muchaでいいか。 本人のサインもラテン文字Muchaだし。 hは数字の5みたい。飾り文字?
日本での開催、大勢に見てもらおう、と考えたら、シンプルに「ミュシャ展」が正解か。
思い出すときには「2017年の、新国立美術館の、スラヴ叙事詩の、ミュシャ展」かな。
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混雑状況報告。
16時前、乃木坂駅側のチケット売り場に並ぶ人は10人未満。 草間彌生展のチケットも一緒に売っている割には、空いていました。
カフェやラウンジやトイレも混雑。草間彌生展の入口には行列。
ミュシャ展の入口は行列なし。 屋外の光がまぶしい 垂れ幕がよく見えない 16時頃
16時過ぎ、ミュシャ展の会場内は人が多かったです。
まず、ざっと一通り眺めました。 人波に注意しつつ、見える作品を見ていました。 小型の作品のコーナーは、近寄って見るには時間をかける必要あり。
二往復目は、気になったら近づいて、解説も読む。 スラヴ叙事詩は解説板が左右二か所ずつ。作品に被らずに解説を読める空間はある。 スラヴ叙事詩以外はスペースに余裕がないのですが、タイミングを見ればなんとか読めました。
休憩がてら映像コーナーへ。 椅子は15-20脚くらいか? だいたい埋まっていました。 回が終わるごとに入れ替わる。途中退席の人もいなくはない。
メモをしたり、撮影したり。
最後のひとめぐりはおそらく18時過ぎ、まあまあ空いていました。 体感人口密度は入館時の半分くらい。 それでも、出版物のケース前は混んでいました。
ショップはレジに数人が並ぶ程度。
会場を出たら外が真っ暗 じゃないけど 外のほうが暗くなっていた 18:40くらいか
そんなに長居をしたつもりはなかったが いつの間にこんなに時間が過ぎたのか
まあいつものこと
総括。 日時を選べるなら、夜間開館日の夜間延長時間内(18-20)がおすすめ。
2017/05/02(火)訪問 |
◎国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業 ミュシャ展 会場:国立新美術館 開催期間:2017年3月8日(水)- 6月5日(月)
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