練馬区独立70周年記念展 生誕150年記念

藤島武二展

於・練馬区立美術館

目撃談 (201725)

 

待ちに待った

 

藤島武二展

わくわく

入口は二階

階段を登る

 

この写真を撮っていると

黒い蝶が飛んできた

 

おどろいた

蝶の写真は撮れなかった。

 

 

  

前期。

 

藤島武二(18671943)。

 

 

《自画像》1902年 インク、紙

一枚目に展示。小さな白黒の絵。

武二の自画像は珍しいのでは。これは個人蔵。前期のみ展示。

写真に比べると、きつい印象が弱められている。

 

油絵の自画像は以前ブリヂストン美術館で見たはずだが印象に残っていない…

 

黒田清輝《アトリエ》1890

ちらっと見て黒田清輝と分かるくらい黒田清輝だ。

武二の師匠。

 

《湖畔納涼》1898

ベンチの色や湖の色が良い。藝大で初めて見たときにはこの感じに気づかなかったな。

色彩は《逍遥》1897も似た色彩だが、こちらのほうが全体に淡いか。

外光が強すぎ。まだ日本画っぽい。

 

 

装飾的なものに長けている、という自分の特性を自覚した武二。

第一次藤島武二ブーム到来。

 

装丁や口絵でよかったもの。

[与謝野鉄幹・晶子『毒草』]1904

こんな顔も描くのね。

 

[与謝野寛『鴉と雨』]1915

シルエットふうのカラスが良い。

 

[『世界裸体美術全集』第六巻]1935年(再販)

銀色の線で描いたのは横向きの女性かな。もちろんはだかの。

 

[『文芸界』第二号]1902

アールヌーヴォーの香り。

 

《三光》絵はがき(星、日、月)1905

輪を背負う女性、この構図やデザインはミュシャだ。

「日」の髪型は東洋風。

 

《美人と音曲》絵はがき 1905

入口左のガラス窓に並んでいたのはこれ。6点組。

この中では三弦がよかった。

 

 

背景の文字は読めず。祝なんとか?

 

1905年晩秋、フランスへ旅立つ武二。

を追って、会場三階に上がる。

 

 

武二は新たな師匠と出会った。

 

フェルナン・コルモン《海を見る少女》1882

手をかざす少女。背景にストーリーを感じる。

油絵らしい重み、密度、量感。

 

武二の絵から感じるものは、物語というより、詩。

 

《裸婦》1906年頃

茶色ベースの色使い。外光派から室内に移ったか。

顔は見えないが、片側を浮かせたようなお尻が良い。

割と粗めなタッチも好きだ。

手前の布の丸まりぐあいも、なぜか見てしまう。

 

そしてイタリアへ。

 

《イタリア婦人像》1908-09

藝大で見たときもひかれた。

ダブル・インパクト の目撃談

何度見てもよい。

色使いは上記《裸婦》と似ている。

 

《老人像》1908-09

立ち止まってしまう絵。奥行きを感じる。

 

《糸杉(フラスカティ、ヴィラ・ファルコニエリ)》1908-09

ナビ派?

ポール・セリュジエの《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》を思い出す。

これは1888年の作。

オルセーのナビ派展(三菱一号館美術館)の目撃談

武二も見たか。

構図、色彩、タッチ。

いろいろ試していたことがわかる。

 

1910年一月、武二帰国。

留学の成果を発揮する前に、発酵させる。

 

1913年に韓国を訪問。

西洋・東洋、日本。

 

《匂い》1915

このピンクと、緑がかった水色。

描かれたチャイナドレスの目撃談

二度目、やはり良い。

鋭いのに、にじむような目。

しなやかで曲線的な指先。

 

《山中湖畔の朝》1916

出てきた、武二の藤色。

 

《静》1916

独特な色彩のセンス。

師匠の黒田清輝展にも出ていた。

生誕150 黒田清輝(東京国立博物館)の目撃談

かつて「気取りすぎるきらいがある」とかなんとか言われ自覚もしていたようだが、

我が道を行くことで大きくなって、恩返し。

黒田展は昨年か。一歳違いね。

 

《婦人像》1927年頃 鉛筆、紙

背景の岩の穴が気になる。

 

《裸婦》佐賀県立美術館蔵 製作年不詳

《匂い》の女性と顔が似ている。特に目の感じが。《花籠》も。同じモデル?

タッチはそれより前の留学時代のものに似ている。

左肩に掛けた布がよい。

 

 

風景画は色彩センスを最大に発揮。

 

《鳥羽の日の出》1931

柔らかなご来光。爽やかにリセットしてくれる。

きれいな色。でも武二のベストかどうか。

 

《潮岬の灯台》1931年頃

半円形の小さなカンヴァス。緑がかった海の上の空は藤色。

ずっと見てられる。

習作だそうですが、欲しい、と思わせるほどのよさ。

 

《浪(大洗)》1931

これもそう大きくない絵。なのに強さがある。

二度目でもはっとさせられる。

あなたに見せたい絵があります。

 

《大洗海岸》1931

《浪(大洗)》より大型。これもよい。でも《浪(大洗)》のほうがいいな。

 

 

そして

《蝶》1934年 絹本墨画

油絵の蝶は所在不明で出品されていないけれど、掛け軸の蝶が来ていた。

黒い蝶が一羽、白い蝶が二羽。

動揺。

 

 

《神戸港の朝陽》1935

淡く柔らかくにじむ。

 

《蒙古の日の出》1937年 油彩、カンヴァス 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵

解説によれば、砂は、日の出のときは色が見えなくなるが、日が昇ると金色に輝く、という。

暗い砂のいちばん上、陽を受けてうっすらと光る。

これから金色になる。

脳裏の画布に日が昇る。

 

《港の朝陽》 1943

絶筆。

解説には、《神戸港の朝陽》1935年を思い出して描いたらしい、とあったが、

《港の朝陽》 1934の方が似ている。

それはともかく、最後までこだわったのは日の出、旭日、朝陽。

そして海。朝日が一番美しく見えるのは波の上。

 

 

 

 

師匠の黒田清輝には、焼失した大作があった。

藤島武二の作品も、焼失したり、盗難に遭ったり。くやしい。

特に留学期の作品は見たかった。

 

焼けてしまったものは仕方がない。

でも盗まれた絵は、いつか姿を見せてくれるかもしれない。

奇跡を期待。

 

 

 

《黒扇》が来ていない。《天平の面影》と一緒にパリに出張してるらしい。残念。

《イタリア婦人像》と並んだところを見てみたかった。

 

講談社野間記念館所蔵の《水浴》(1916年)も、最後の風景画の部屋に並んでいてほしかった。

 

 

 

図録。

 

色の再現性が低い。あの藤色が。水色の濃淡も。残念。

でも藤島武二の資料として、一冊あってもいいかな。

後期に来たら考えよう。

 

 

混雑状況報告。前期、2017/07/25(火)訪問。

 

なかなか盛況。開幕二日目だからか。

チケット購入も展示室内も、並んだりすることはなし。

 

入口は二階。

二階のひと部屋と、三回の二部屋で展示。

 

各部屋に10人くらい。

好きな絵をしっかり見ることができます。

  

  

 

前期展示を見てから読んだ。

藤島武二『画室の言葉』より。

 

『絵画のエスプリというのは、即ち画面の裏にかくされている作者の気持を言うのである。』

 

エスプリが武二のキーワードのようである。

絵の中の武二が描く動機を見つめる。

 

『修正を重ねるということは、結局修正の後を全く止めないところに達するための手段である。』

 

武二の試行錯誤ののちの完成品が目の前にある。

留学中に盗まれた作品、武二自身はそう惜しいと思っていなかったかも。

 

『かくして最後に、芸術の深奥の底にあるものを絵を読む力のある人が感受し、作者のエスプリと観者のエスプリが完全に渾融した時、芸術の久遠の生命がそこに見出されるのである。』

 

荷が重いよ武二。

でも何人かはいるんだろうな。エスプリが武二のエスプリと渾融した観者が。

だから生誕150年記念展が開かれる。

 

(大芸術の勃興が期待し得ることについて)

『ただかかる機運は自ら醸成されるものであり、必ずしも人為的に導かれ得るものでないことを考える必要がある。たとえていえば、それは夜が明けるようなものである。何程夜明けを早めようとしても、時がこなければ太陽は現われない。われわれは常に用意しておればよい。そして自然に夜の明けるのを待てばよい。やがて太陽は光芒一箭、雲間を破ってその陸離たる光彩を燦然と輝かすのである。』

 

夜明け!

武二は描くために何度夜明けを待ったか。

 

 

 

 

後期。

 

後期のみ展示の作品。

《東洋振り》1924

武二らしい装飾性。

丁寧な塗り。それだけに筆の跡が見えず、物足りない気もする。

武二にとっては画期的な作品となったらしい。東洋人の横顔の典型を描きたかったのか。

到達して気が済んだのか、この後の横顔の絵はそれほど多くない。出展されてないだけ?

 

横顔、骨格のしっかりした西洋人ならいいと思う。

東洋人の顔は前から描いた方がよさそう。

 

真横から見ると和服は衿のあわせが描きにくそう。チャイナドレスを選んだのは正解でしょう。

 

 

藤島武二の画風は、ころころ変わるというより、

新しいものを吸収してどんどん進化していく。

停滞しない。できないのか。

 

個人的には留学時代の人物画と1930年代の風景画が好きだ。

1910年代もいい。《花籠》《匂い》《山名湖畔の朝》《静》あたり。

 

何度見てもやっぱりいい《浪(大洗)》1931は、後期では雲が迫ってくるように感じた。

前日に黒田記念館で《雲》の連作を見た影響か。

黒田記念室(黒田記念館)の目撃談

 

そういえば《桜の美人》1893年頃の肌の緑、

黒田清輝もキース・ヴァン・ドンゲンも使っていた。

 

本展いちばんは《神戸港の朝陽》1935かな。

筆触がはっきりしている。一筆に含まれるものの大きさ。

次点は《裸婦》1906年頃か。

どちらも、前期でも後期でも印象に残った。

 

 

前期ではあまり魅かれなかったが、後期で再見して魅かれたもの。

《少女》1940

髪形や服などのおしゃれ感。

本展では最晩年の油彩人物。

このあともう少し生きていたら、また新しい人物画を描いたか。

 

藤島武二は夜明けを待つ人。死ぬまで挑戦の人。かつ装飾性の人。

朝陽。朝顔。

本展の顔《夫人と朝顔》1904年。留学前の作。正面顔。

晩年の作品にすればいいのにと思っていたが。

なるほど。ちょっとわかった気がする。

武二はいつでも朝の人。

 

 

 

図録購入。184ページ。2300円。

 

練馬では展示されていない作品が載っている。

改めて作品リストを確認すると、ところどころで番号が飛んでいる。

《大王崎》、《室戸遠望》は以前泉屋博古館分館で見てはいるが。

近代日本洋画の魅惑の女性像 ―モネ・印象派旗挙げの前後―

もういちど見たかった。ほんとうの色を。

特に《室戸遠望》の青、夏に見たかった。

 

藤島語録からひとつ。

『如何なる複雑性をも、もつれた糸をほごすように画家の力で単純化するということが、画面構成の第一義としなければならない』

単純化できる力があってこそ画家、ということか。

 

 

混雑状況報告。後期、2017/09/10(日)訪問。

 

ほど良い入りでした。並ばずに済みます。

開幕二日目とそこまで変わらない印象。

展示室内の体感人口密度は1.2倍くらいか?

 

ロビーはやや混んでいました。喫茶コーナーがほぼ埋まっていました。

受付で図録を買うときに一人待つ。後ろにも一人。

 

 

      

生誕150年記念 藤島武二展

 

練馬区独立70周年記念展

会場: 練馬区立美術館

前期: 2017723日(日)〜820日(日)

後期: 2017822日(火)〜918日(月・祝)

 

 

会場:鹿児島市立美術館

期間:2017929() 115()

 

 

会場:神戸市立小磯記念美術館

期間:20171118() 2018128()

 

 

 

  

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