表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち
の
目撃談 (2017の36)
一点目が良くて驚く。 建物が人の顔のよう。 ブリヂストン美術館所蔵のジョルジュ・ルオー《郊外のキリスト》1920-24年を思い出す。
ジョルジュ・ルオー《後ろ向きの裸婦》1905年 ロートレックを連想する女性像。
ジョルジュ・ルオー《水浴の女たち》1910年頃 ほぼセザンヌ。みな彼を通る。 裏表両面に描くルオー。表からにじむ油絵具を生かして裏はガッシュで描いた。 裏の方がいいな。らしさが強い気がする。
マックス・ペヒシュタイン《版画集『われらの父』》(そして御力と栄光は)1921年 ひとつの目。フリーメイソンのマークがこんな感じだっけ。 と思って調べると「プロビデンスの目」というものらしい。 Providenceはキリスト教の摂理らしい。神の全能の目、というほどの意味らしい。 知らないことにはどうしようもないな。
マックス・ペヒシュタイン《森で》1919年 これも何となくひかれる。
と思ったら
マックス・ペヒシュタイン《帆船》1912年 これがよかった。 緑の画面、船も濃い緑。粗めの線がよい。力強い存在感。
ジョルジュ・ルオー《アフリカの風景(ユビュの試作)》1917年 フリーハンドで描いたような楕円にくりぬいたような画面。 絵もフリーな大胆な描き方。
ジョルジュ・ルオー《ユビュのための習作(「ユビュおやじの再生」)》1920-1929年頃 左右対称。
ガブリエーレ・ミュンター《抽象的コンポジション》1917年 軽さ、柔らかさの魅力。
ジョルジュ・ルオー《鏡をもつ裸婦(「悪の華」)》1939-1946年 同じタイトルの作品があったが、小さくて裸婦の体の青いこっちのほうがなぜかよい。
ジョルジュ・ルオー《田園風景》1910-1919年 これも両面に描いている。裏の緑基調のほうにひかれた。
ジョルジュ・ルオー《月明かり モンタナの思い出》1929年 きました本展いちばん。 淡いピンクが建物などにかかっている。 そして月。ルオーの月は安心する。
ジョルジュ・ルオー《ヒンデンブルク》1912年 キリスト以外の肖像は珍しいように思う。 キリストとは全く違うタイプの顔とキャラクター。
と思ったら自画像発見。 ジョルジュ・ルオー《自画像》1920-1921年 キャプションに、自分を理解してくれる人の前でも裸でいるような不安がある、とあった。 確かに、絵の中のルオーは自信なさげなようす。
カール・シュミット=ロットルフ《女性頭部(『新ヨーロッパ版画集』第5集)》1915年 昨年見たロットルフ! 見れてうれしいが、カラー作品が見たい。 もっと見たいぞロットルフ。
ジョルジュ・ルオー《「グロテスクな人物たち」》(むさい市民)1930年頃 むさい、という単語に笑ってしまう。絵を見て納得する。
パウル・クレー《橋の傍らの三軒の家》1922年 駒井哲郎を思い出す。
パウル・クレー《グラジオラスの静物》1932年 クレーの本展いちばん。 淡い色の薄い紙を切り貼りしたような絵。 ずっと見ていられる絵。
パウル・クレー《ラトミー》1939年 糊で下地を作っている。岩のような質感。 その岩の上に、迷路のように線がひかれている。
パウル・クレー《赤い鳥の話》1935年 「話」と書かれると聞かせてほしくなる。 ストーリーは実際にあるのだろうか。
カンディンスキーは正直あまり好みのものがなかった。 しいて言えば、書籍『響き』(木版画56点)を全部めくって見てみたい。
|
図録。あります。 わたしは今回は見ず買わず。
|
ルオー ギャラリー。テーマ: ルオーによる聖なる人々。
新収蔵作品。 《エジプトへの逃避》1952年 逃避、というものの、黄色を効かせた明るい画面。 希望あふれる旅立ち。
|
混雑状況報告。
いい感じに空いていました。
2017/11/30(火)訪問 |
◎表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち 開催期間:2017年10月17日(火)〜12月20日(水)
|