ヌード NUDE —英国テート・コレクションより
NUDE: ART FROM THE TATE COLLECTION
および コレクション展
於・横浜美術館
の
目撃談 (2018の15)
まずは企画展のヌード展。
ウィリアム・マルリディ 裸体習作 1842年 女性の左右に鳥と蛇。物語のワンシーンでは、との解説。
ハモ・ソーニクロフト テウクロス 1881年 ブロンズ像。左手に弓を持ち、右手は矢を引くポーズ。 矢そのものはない。平櫛田中 《活人箭》を思い出す。こちらは弓もない。 右手を中心とする力の入り方と、全身に漂う緊張感が共通している。
男性像を作るとは、動きと力を表現するということか。
ハーバート・ドレイパー イカロス哀悼 1898年発表 イカロスを囲む妖精たち。その髪の輪郭が光っていて、そこに吸い込まれる。 イカロスは印象が薄い。もう死んでいて、動きも力もないからか。
エドガー・ドガ 浴槽の女性 1883年頃 パステル。 縦線で色が付けられているが、柔らかく丸い体の曲線をさえぎっていない。
フィリップ・ウィルソン・スティア 座る裸婦―黒い帽子 1900年頃 黒い帽子にワインレッドの飾り。 脚の間にある、脱いだらしき服も同じ色。 本展でいちばんセクシー。
ボナール2点。 ピエール・ボナール 浴室 1925年 ピエール・ボナール 浴室の裸婦 1925年 ピンク・水色・白・黄色。空気の触感。 ボナールは部分の観察で全体の印象が薄れることを恐れ、記憶によって描いたそうだ。
赤と緑をつかった作品多し。 オーギュスト・ルノワール ソファに横たわる裸婦 1915年 マシュ−・スミス 裸婦、フィッツロイ通り、no. 1 1916年 アンリ・マティス 布をまとう裸婦 1936年 アンリ・マティス 青の裸婦習作 1899–1900年頃 カール・シュミット=ロットルフ ふたりの女性 1912年 ダンカン・グラント 浴槽 1913年頃 ヘンリー・ムーア 倒れる戦士 1956–57年(1957–60年頃鋳造) パブロ・ピカソ 首飾りをした裸婦 1968年
ルノワールの裸婦はビュールレ展の「泉」を思い出す。こちらも目は青か。よく見えなかった。
マティス、「青の」裸婦習作、というが緑だ。
ロットルフ。 赤茶色の肌、直線的な輪郭。女性だということはわかる。 描かれた人ではなく、画面全体が強く迫ってくる。 上縁、額の影がけっこう幅広く落ちていて、もったいない。 本展いちばん。 やっぱりもっと見たいよロットルフ。 表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち(パナソニック汐留ミュージアム)の目撃談
ムーア、ブロンズ像。地が赤みがかっていて、腐食が緑。
ピカソは赤と緑と白。
アレクサンダー・アルキペンコ 髪をとかす女性 1915年 デフォルメされた彫刻だが女性を感じる。 作者の恋愛対象となる性とそうでない性は見え方が違うだろう。 想像をかき立てられるかそうでないかは大きい。 どちらに対しても注意深く観察はするだろうが、モチベーションはかなり違ってくるだろう。
アルベルト・ジャコメッティ 歩く女性 1932–33–1936年頃(1966年鋳造) 本展はこれが目当て。 2017年のジャコメッティ展には、歩く女性像がなかった。 男性像は歩き、女性像はみな歩かず立っていた。
本展の《歩く女性》は、歩くと言っても歩幅が小さい。脚を前後にずらして立っているようだ。 頭部と腕はない。 全体に細く、表面はなめらか。ジャコメッティ彫刻特有の表面のゴツゴツ感はない。 上半身がやや反っていて、お尻がちゃんとある。膝もふくらはぎもある。 《女=スプーン》 1926 / 27年はお腹から腿にかけてスプーンだった。 それに対し《歩く女性》は背中側がスプーンか。
ターナーのスケッチブック、小さい。照明も抑えているのでよく見えず。 色合い、空気はたしかにターナー。
ルイーズ・ブルジョワ 自然の法則(1)〜(5) 2003年 女性は髪・首飾り・ハイヒール。ステレオタイプの表現か。
ジョルジョ・デ・キリコ 詩人のためらい 1913年 描かれた石膏像が生きた人間の肉体に見える。 建物の、定規で引かれた直線にキリコらしさを見る。 背景に煙を吐く汽車はめずらしいかも。
マン・レイの写真、やはりきれい。どれもかっこいい。おしゃれ。 色っぽいかどうか? まあそうでもあるけど、かっこよすぎるか。
ポール・デルヴォー 眠るヴィーナス 1944年 例によって夜。裸の女性たち。 遠い山の上に飛んでいるのも女性たちか。 手をあげる女性たち、何かを求めている。やはり飛ぼうとしているのだろうか。 骸骨や手前に横たわる女性は、博物館の展示品を参考にしたという。 神殿のような建物も博物館だろうか。 着衣の女性も一人いるのが気になる。
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本展で唯一撮影が許されている作品。
オーギュスト・ロダン《接吻》 1901 – 4 年 ペンテリコン大理石
彼女の右手はどうなっているのか。
二人の間に挟まっているのは何? サーフボードではないと思うが。その先端に似ている。
刻まれた髪の流れが埴輪のハケ目を思い出させる。
さて彼女の 左手はというと
しっかと彼の首に回されている。
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コレクション展。
ヌード展をひきずっているのか、赤と緑に引きつけられた。
初代 宮川香山(1842-1916) 緑花紅花瓶 (明治中期)
中林 忠良 (1937年生まれ) 転位 '09−地 (光) 2009 静かに季節を変える野原のうた。 粟津則雄コレクション展 “思考する眼”の向こうに(練馬区立美術館)の目撃談 では《転位‘89-地U》(1989)を見た。 違うところで同じ人の作品にひかれるのは面白い。
吉田 千鶴子 (1924-2017)ウトロ流氷 1995/夜半の雪 1991 すっーとする。 爽やか、と、ヒヤリ、のあいだ。
ヌード展つながり。 下村 観山(1873-1930) ナイト・エラント(ミレイの模写) 1904 原画より生々しい。つややかとも言える。
埴輪が! 中島 清之(1899-1989) 古代より (一)1952 トーハクの埴輪をモチーフにしたとのこと。 右の男子は群馬県太田市由良四ツ塚古墳出土の埴輪だ。 左の女子、頭部は川端康成コレクションの埴輪かな。 耳がのの字。髷の前部分が欠けたまま。 胴部はほかの埴輪か。どこかで見たような。
よく見るとここにも埴輪。 鳥を腕にとめた男子埴輪。
しかしざっくり古代なので、銅鐸が一緒に描かれてしまっている。
今村 紫紅(1880-1916) 平親王 (明治40頃) 玉纏大刀(たままきのたち)だ。 鈴のついたまがり金が2つあって円をなしている。 大刀形埴輪は片側に一つしかない。 どちらも直刀ではある。
鏑木 清方(1878-1972) 遊女 1918 (大正7) 泉鏡花『通夜物語』の遊女・丁山(ちょうざん)を描いた。 「大正という時代を反映した退廃的気配が加味されている」とのこと。
退廃は顔よりも
着物の裾もようの粗さに出ている。 水彩みたい。
土田 ヒロミ(1939年生まれ) 坂口博美 (「ヒロシマ 1945- 1979/2005」より) 1976/2005
原爆死没者慰霊碑は、丹下健三が家形埴輪の屋根をモデルにデザインしたらしい。 あのライン。たしかにそうだ。
ルネ・マグリット(1898-1967) レカミエ夫人 1967
サインは 枕のそばに。
肉体が滅んでも残るもの。
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陽を浴びる馬と青年
ヴェナンツォ・クロチェッティ 平和の若い騎手 1987
騎手の足首が垂直に曲がっていておもしろい。
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混雑状況報告。
チケット売り場にも展示室にも行列はなし。 ただし人は多めです。 「接吻」は全体を撮ろうとすると人が入ります。 作品独占は「接吻」以外なら数秒可。
2018/5/11(金)訪問 |
◎ヌード NUDE —英国テート・コレクションより NUDE: ART FROM THE TATE COLLECTION 於・横浜美術館 開催期間:2018年3月24日(土) – 6月24日(日)
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