生誕110年 東山魁夷展
於・国立新美術館
の
目撃談 (2018の38)
道
東山魁夷(1908−99年)。
川端康成のコレクションには埴輪のほか、充実の東山作品群がある。 川端康成コレクション(東京ステーションギャラリー) の目撃談 この時、ひんやりした世界に目覚めた。
本展。 若いころの絵があまりない。最もさかのぼって30代の作品。 40代くらいまでの絵はあまり魅かれない。 《道》(1950)は近美でも見ているが、正直あまり好きではない。
《山かげ》昭和32(1957)年 東京国立近代美術館 秋の滝。ほそい滝。 このあたりからひかれる。
《青響》昭和35(1960)年 東京国立近代美術館 山の緑が四角い。おもしろい。 中国の青銅器を参考にしたらしい。
《ウプサラ風景》昭和38(1963)年 香川県立東山魁夷せとうち美術館 マグリットかと思うような空と雲の色合い。 岩の感じが日本ではない。
《フィヨルド》昭和38(1963)年 兵庫県公館 高い岸壁の黒い岩肌。細い滝がいくつか。
《窓》昭和46(1971)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館 同年制作のもう一つの窓《石の窓》よりだんぜんこっち。 壁の質感。
《晩鐘》昭和46(1971)年 北澤美術館 下絵が川端康成のコレクションにあった。 本画を見ることができてうれしいが、やっぱり下絵のほうがいいかな。 本展の《晩鐘》は照明のせいか、空からの光がよく見えなかった。 葉書や図録でははっきり見える。
《白馬の森》昭和47(1972)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館 この絵の馬もほかの絵の馬も、プロポーションや背景とのバランスが写実的ではない。 そこから、ただ美しい動物を描き入れたのではない、とわかる。 白い馬。何の化身か。
唐招提寺御影堂障壁画。なかでも圧巻はこれ。 《濤声》昭和50(1975)年 海の色がすてき。透明感。 半透明の色紙をナイフで細かく刻んで、ていねいに何枚も貼り付けたみたい。 グラデーションを追いかけて、ふすまの前を行ったり来たり。 洗われる。みそぎ。 間違いなく本展いちばん。
「とうせい」と読むらしい。
そういえば、ふすまを開けたい気持ちにはならなかった。
《揚州薫風》昭和55(1980)年 《桂林月宵》昭和55(1980)年 どちらも舟があった。建物も。 舟のほうが、人の存在を思わせる。
《緑の窓》昭和58(1983)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館 緑が囲む遠い空。 これもマグリットを思わせる。構図も色も。 近づくと緑の葉がひらめく。 本展の次点。
《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館 木の根元の黄葉。小さな一枚一枚がきれい。 その上にまた、きらきらしたものが降る。 魁夷の言葉。 「行く秋は淋しいと誰が言ったのか。私が見出したのは、荘重で華麗な自然の生命の燃焼だ」 燃え尽きてなお鮮やかというより、燃え尽きたからこそ現れた鮮やかな色、ということか。 構図と色で、ゴッホの《草むらの中の幹》を思い出した。 どちらも樹木の生命力が中心テーマか。
《夕星》平成11(1999)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館 パリの森を参考にしたらしい。 なるほど構図が滞欧時代の作品に似ている。 ほんとうはどこにもない森。 絶筆。 魁夷は20世紀の人。
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唐招提寺御影堂障壁画を展示するために、壁や柱を会場に作る。 すごい展覧会だ。 柱が新しすぎて変という感じはなかった。 照明が落とされているせいか、上手く作ってあるからか、ふすまに気が行っているからか。 手前に敷かれた畳は明らかに新しい。これは良し。
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人物画がなかった。 人物は描いていないのかな。
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エッセイ『泉に聴く』を何年か前に読んだはずだ。 記憶を呼び起こすために再読しよう。
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混雑状況報告。
会場内、混んではいたが、大きい絵が多く、ゆったり展示してあるので、さほど見づらくない。 御影堂障壁画も、しっかり見られる。完全独占は無理。
車いすの人が数人。本展は他の展示と比べ、杖の人が目立った。
ミュージアムショップのほうが人口密度高し。 商品が多いのはいいが、通路が狭い。 レジ待ちは5人くらい。
2018/11/09(金)昼訪問 |
◎生誕110年 東山魁夷展
於・京都国立近代美術館 開催期間:2018年8月29日(水)〜 10月8日(月・祝)
於・国立新美術館 開催期間:2018年10月24日(水)〜12月3日(月)
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