ゴッホ展

於・上野の森美術館

目撃談 (2019025)

 

夜間開館中に訪問

 

  

フィンセント・ファン・ゴッホ(18531890)。

 

初期(1882)の水彩2点、どちらもうまい。画才を感じさせる。しかしゴッホ感はない。

 

本展は二部構成。

ゴッホに影響を与えた画家たちの作品も多数展示されている。

 

1部、ハーグ派。

ハーグ派はこれまであまり興味がなかったが、本展でいい作品に出会えた。

 

ヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ《黄褐色の帆の船》1875年頃

逆光の雲の存在感、リアリティ。絵が画布より大きく感じられる。

 

アントン・マウフェ《雪の中の羊飼いと羊の群れ》188788

雪と羊のもこもこ感、動きと寒さ。

遠くの空に鳥たちが小さく見える。広大さ。

 

マテイス・マリス《「デ・オールスプロング(水源)」オーステルベークの森の風景》1860年頃

根っこ、乾いて白くなった感じ。

引っかいてるのかと思ったが、下から見てみるとむしろ盛り上がっているよう。

絵の具が変質したのか、そもそもそういう効果を狙って成功しているのか。

 

マテイス・マリス《ウォルフヘーゼ近くの羊小屋》1860年頃

屋根の藁がやはり乾いた白さ。

 

マテイス・マリスの他の2作品にはその表現はなかった。

 

後で気づいたが、マテイス・マリスは《蝶》(1874)をバレル・コレクションで見ていた。

印象派への旅 海運王の夢 ―バレル・コレクション―(Bunkamura ザ・ミュージアム)の目撃談

制作時期が違うせいか、作品を見ている時はわからなかった。

ともかく、今日つながった。

 

ゴッホ作品。

《器と洋梨のある静物》1885

 

 

光と影をみごとに表現。洋梨にはツヤがある。

しかし硬そうに見える。洋梨にも洋梨の硬さはあろうが、この硬さはヒョウタンみたい。

器の印象は弱い。洋梨を引き立てるために狙った効果なのか。

ゴッホらしさはない。この絵だけを出されて誰の作品かと聞かれても、正解できそうにない。

 

 

2部、印象派。

ゴッホと印象派との出会い。

最初は理解できなかったらしい。徐々に目覚めていく。

 

モンティセリ! 本展はモンティセリがよかった。

 

アドルフ・モンティセリ《ガナゴビーの岩の上の樹木》1875-78年頃

地面を彩る白い絵の具の盛り上がり。突き出している部分すらある。

樹のまわりが茶色く沈んでいるのは、樹のオーラ? 絵の具の変質?

 

アドルフ・モンティセリ《猫と婦人(猫の食事)》1875-80年頃

女性のシルエットに目を引かれた。ヴュイヤールを思い出した。

小さなカンヴァスだが、モンティセリの3作品の中でいちばん印象に残った。

 

アドルフ・モンティセリ《陶器壺の花》

花もテーブルクロスも、ごてっとしている。

しかし嫌ではない。絵から豪華な空気が漂う。

 

モンティセリは今年のバレル・コレクションで見たが、その前にもいいものを見ている。

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このときにモンティセリの名を意識した。

ちょっとモローにつながるものを感じる作風。

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装飾的な中に、宗教性がある。宗教にはなにかしらの装飾が必要なのか。

信じるものの前に立つべく、あらたまるため? 儀式の前のみそぎのような。

 

ゴッホはモンティセリの色彩のすばらしさを手紙に書いている。誰あてだったか忘れた。

ともかく、この色彩は、ほかにはドラクロワまでさかのぼらないといない、といったことを書いている。

ドラクロワも、画家によく名前を出される画家だ。本展には出品がないが。

 

ちなみにモネはドラクロワの水彩画を持っていた。

モネ展 および 屋外彫刻(東京都美術館)の目撃談

 

クロード・モネ《ロクブリュヌから見たモンテカルロ、エスキス》1884

エスキスだけに画面は粗く、ぼんやりとしている。

しかし見続けていると、モンテカルロの街が浮かんできそう。くっきり形を取るまで見ていたい。

ゴッホの手紙に、桃色の空の話あり。残るのは風景画だという話あり。

 

ゴッホ作品。

《麦畑とポピー》1888

 

 

すっと伸びた黄色い麦と、赤く丸いポピー。

赤い絵の具がたっぷり使われている。

赤にはっとした作品。ゴッホと言えば黄色で、赤がイメージにないせいか。

 

《ぼさぼさ頭の娘》18886

黄色い頭。目と上着は水色、背景は紺。ゴッホのコントラスト。

ちょっと面白い作品。肖像画というよりスケッチ。色の効果の実験。

しかしこの女の子、手に負えない悪ガキ感つよし。

 

《サン=レミの療養院の庭》18895

 

 

本展いちばんはこれ。

モンティセリの色彩の効果を、1886年夏の《花瓶の花》では真似をしているだけの印象だった。

3年後、自分のものにした。

 

この量感。

生命に満ち満ちている。家が植物に圧倒されている。

 

モデルを雇えず人物が描けなかった時期に、花を見つめていたことがここで結実した。

色彩としての花と緑の集まりが、ボリュームを生む。単に厚塗りだからではなさそう。

花瓶に活けられた花ではなく、地面から生えている花だということも影響しているか。

ひまわりだけではないゴッホ。

2010年の「没後120 ゴッホ展」で一度見ている再会作品だが、今回ようやく魅力を感じ取れた気がする。

 

もちろん、本展メインの《糸杉》もよかった。

見ていると迫ってくるような糸杉の立体感、明るい空の細い月、同じ曲線の雲、よかった。

 

でも本展ではモンティセリが良かったせいか、ゴッホの色彩の研究成果、特に花に魅了された。

色で言うと黄色ではなく赤。 

 

下支えするのはハーグ派から学んだ技術。

そしてパリでの印象派との出会いと、目覚め。

《パリの屋根》1886年春

 

 

《ガシェ医師の肖像》1890615日 エッチング、賽の目紙

本展出品作中、ゴッホがいちばん最後に描いた作品。

友人ラッパルトに酷評された《ジャガイモを食べる人々》(18854-5月)に比べると、腕も鼻もうまくなっている。

見る人に与える印象も、表面的なものではなくなっている。

 

ゴッホは好きなものや人が多く、影響を受けやすかったようだが、それだけで終わらなかった。

 

 

ところどころに手紙から拾い出した言葉が書かれている。

用紙がよい。縁が波打っていたりして、凝っている。

壁にもゴッホの言葉あり。

 

電子通信機器のない時代をうまく想像できない。

ともかく、絵で、言葉で、伝えようという渇望は今の比ではなかっただろう。

 

 

思い出したこと、これ以上忘れないうちにメモ。

本展には展示がないが、ゴッホが師と仰いでいたのはジャン=フランソワ・ミレー。

「ミレーは土で描いた」と誰かが言っていたとか、本展のどこかで見た。誰の言葉だったか。

ゴッホは、ハーグ派から学ぶより前、ミレー作品をたくさん模写した。

 

そういえば《種まく人》の模写は見た。

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢(東京都美術館)の目撃談

印象派を超えて 点描の画家たち

模写というか、もはやゴッホの《種まく人》だった。1888年の作品。

 

地に足のついた労働者を描く姿勢に共鳴したのか。

地面から生えている花を描くことにつながったか。

 

「最後には風景画が残る」の話。

人の姿がなくなる、ということか。労働者さえ。

自然に人間が溶けていく? モネの絵がそのイメージだ。溶け込んで一体化。

ゴッホは自分を消してしまった。

 

ところでミレーとゴッホ、どちらもパリを通過している。

土にかえるまえに、街を歩く。

 

  

 

混雑状況報告。

夜間開館時間の午後6時過ぎ、チケット購入も入館も行列なし。

館内は行列なしも、そこそこ混雑。

最初はどの作品も独占ほぼ無理。

 

徐々に空いてくる。

7時を過ぎたあたりで1章のハーグ派の展示室は気に入った作品を数分独占できた。

2章の印象派はあまり人が減らず、独占は数秒にとどめたものの、十分堪能。

 

意外と正面がぽっかりあいていることがあった。

遠慮のせいか、反射があるので斜めからのほうがよく見えるからか。

 

 2019/10/26(土)18151950訪問 

   

見終えて

この看板を撮る人多し。

 

 

ゴッホ展

於・上野の森美術館

開催期間:1011日〜2020113

 

於・兵庫県立美術館

開催期間:2020125日〜329

 

 

 

 

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